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<title>和光大学 - イメージ文化学科</title>
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<description>ふっふっふ・・・こんにちわ。一度は閉鎖となった当ＨＰですが、密かに復活することになりました。少しずつですが更新もしてゆきますので、どうぞヨロシク！</description>
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<copyright>Copyright 2008</copyright>
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<title>「グロテスクの系譜」の美術家としてのレオナルド･ダ･ヴィンチ</title>
<description><![CDATA[</span><table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
      <tr><td><div align="center">
        <p><a href="http://wako-image.net/img/nb_01.jpg"><img alt="nb_01.jpg" src="http://wako-image.net/img/nb_01.jpg" width="250" height="369" /></a>
          <br />
          レオナルド・ダ･ヴィンチ≪モナ･リザ≫、1503－05年、パリ、ルーヴル美術館蔵<br />
          <br />
        </p>
        </div>
  </td>
  </tr>
      <tr>
        <td>
  <div align="center"><img alt="nn_02.jpg" src="http://wako-image.net/images/nn_02.jpg" width="279" height="324" />
    <br />
    レオナルド・ダ･ヴィンチ、二人の老人（いわゆるグロテスク・ヘッド）の素描、
    １４９０年頃、イギリス、ウインザー宮、ロイヤル･ライブラリー、素描番号１２４９０</div></td></tr>
    </table>
      <p>　レオナルド･ダ･ヴィンチ（1452－1519年）の描いた奇怪な人物像（一般的に「グロテスク・ヘッドと呼ばれる）が気になってきたのは、今年度の授業準備をしていたときだった。「表象の文化史」の導入部を微笑の表情で名高い≪モナ･リザ≫の絵（1503－05年頃）で始める用意をする一方で、「微笑」の影に隠れた「奇怪なもの」に対するレオナルドの執着を「グロテスク･ヘッド」と関連させて話そうとも考えていた（後で話題とする「グロテスク文様」の問題は、現在ではその重要性が装飾の分野で明らかとなってきており、「装飾芸術を見る／読む　１」の中でやや詳しく取り上げる予定にしていた）。</p>
      <p>　こうした準備の段階で、レオナルドにおける「微笑」と「奇怪なもの」との係わりについて、思いがけない示唆を与えてくれたのが、フランスの美術史家アンドレ・シャステルの大著『ロレンツォ豪華王の時代の芸術とユマニズム』（１９８２年、第３版に拠る）中の「微笑と怒り」と題するごく短い項目の指摘であった。すでに授業で話したことと重なるが、シャステルの指摘を手がかりに、「グロテスクの系譜」の美術家としてのレオナルドをめぐり、シュルレアリスムの登場で突然注目されるに至った中世末期のオランダの幻想的な画家ボスとの対応関係に気づくなど、紆余曲折しながらリサーチした経緯を以下に書き記しておきたい。</p>
      <table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
        <tr><td><div align="center"><img alt="nb_03.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_03.jpg" width="292" height="301" /><br />
          
          ヴェロッキオ≪ダヴィデ像≫（頭部拡大図）、１４７８年、
          フィレンツェ、バルジェロ美術館蔵</div></td>
    </tr>
        <tr>
          <td>
            
  <div align="center">
    <p><img alt="nb_04.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_04.jpg" width="256" height="371" />
        <br />
      ヴェロッキオ≪コレオーニ騎馬像≫（拡大図）、１４８８年、
      ヴェネツィア、サンティ･ジョバンニ・エ・パオロ広場</p>
    <p>&nbsp;</p>
  </div></td></tr>
      </table>　上記の短い項目の中で、シャステルはまず、レオナルドの師匠であったヴェロッキオの彫刻のレパートリーの中に「美しい顔立ちの青年」と「憤怒をあらわに示す顔立ちの武将」とを対比的に示す表現が存在していたと指摘する。事実、ヴェロッキオの現存する彫像群中には、この対比的な表情を示す名高い作例として、≪ダヴィデ像≫（1478年）と≪コレオーニ騎馬像≫（1488年）とが残されている。また、晩年のヴェロッキオの彫刻群の中では、猛々しい感情の描出は影を潜め、冷ややかで謎めいた表情が目立つようになり、レオナルドは、師のこの種の表現を精妙な微笑の絵画描写へと洗練させていったと考えられる。

      <p>　そのため、完璧な絵画技法とともに、解剖学・遠近法を含む膨大な科学的知識に基づき至高の美を求めた天才と見なされてきた「レオナルド神話」の影に隠れて、もう一方の壮年や老人のグロテスクな人物像の系譜は、長い間忘れ去られた状態にあった。</p>
      <table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
        <tr><td><div align="center"><a href="http://wako-image.net/images/nb_05.jpg"><img alt="nb_05.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_05.jpg" width="250" height="352" /></a>
          
              <br />
              レオナルド、老人と美青年、フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵、素描番号４２３Ｆ</div></td></tr>
      </table>
      <p>　ところが、シャステルによれば、この対（つい）をなす人物類型こそ、一生涯に渡りレオナルドの心から離れなかった執着を端的に示すものであり、このことを明らかにしたのが、イギリスの美術史家ケネス･クラークだったという。ケネス･クラークは、レオナルドの全体像を探索するための大鉱脈の一つ、イギリスのウインザー宮に所蔵される膨大な素描の綿密なカタログを長い年月をかけて完成させていた。そして、彼は、ウインザー宮所蔵の素描群中にも見出される「グロテスク･ヘッド」の意味するところを、レオナルドに関するモノグラフィーの中で、次のように述べている。このエセーの出発点の要点をなす事柄なので、やや長くなるが、肝心な箇所を引用しておこう。</p>
      <p>　「レオナルドが（これらを）描いた動機には、好奇心のほかに、もっと深い動機がある。それはゴシックの建築家が聖堂の屋根に、異様な怪物の形をした吐水口（ガルグイール）を取付けたのと同じ動機である。ゴシック建築のこうした怪物は聖者を補うものであり、レオナルドのカリカチュアは彼の飽くことなき理想美の探究を補うものであった。この怪物は、人間の心の中から神聖なものが消え去った時、心の中に残る一切の激情、暴力、カリバン（シェークスピアの『テンペスト』に出てくる醜悪で奇形の奴隷）的な唸（うな）りと呻（うめ）きの表現だった。しかしレオナルドは、中世のゴシック芸術家ほどは、人間の心の中の神聖なものに関心をもっていなかったから、彼のカリカチュアは、激しいエネルギーを表現する場合には、知らず知らずのうちに雄々しい人間の姿に変わる。その典型が、ひどい渋面をし、あごが鼻にくっついた男で、こういう男はカリカチュアとして描かれる場合もあり、その癖（くせ）のある容貌は旺盛な精力と確固たる精神を象徴しているように思われる。そしてこの男は、レオナルドが同じようにすらすらと描きだしたもう一方の人物、アンドロギュノス的、すなわち男女両性具有的な若者と一対をなしているのである。事実、この二人はレオナルドの無意識が産んだ二つの象形文字であり、注意力が散漫になった時、彼の手が勝手に創り出した二つの像であって、たとえどんなに下手に描かれていても、見逃すことができない重要性をもっている。」（丸山修吉／大河内賢治訳『レオナルド・ダ･ヴィンチ　第2版』、法政大学出版局、１９８１年第２版、１０２ページ）</p>
      <table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
        <tr><td><div align="center">
          <p><img alt="nb_06.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_06.jpg" width="250" height="310" />
            <br />
            レオナルド、5つの頭部像、１４９４年頃、ウインザー宮、ロイヤル・
            ライブラリー蔵、素描番号１２４９５ｒ</p>
          <p>&nbsp;</p>
        </div>
  </td>
    </tr>
        <tr>
          
          <td>
  <div align="center"><a href="http://wako-image.net/images/nb_07.jpg"><img alt="nb_07.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_07.jpg" width="250" height="219" /></a>
    <br />
    ヒエロニムス・ボス≪十字架を担うキリスト≫、１５１０‐１６年、ゲント市立美術館蔵</div></td></tr>
      </table>
      <p>　そして、この「グロテスク･ヘッド」に係わる問題は、レオナルド個人に対する天才賛美を非神話化するにとどまらない、より大きな広がりと意味を持っている。すなわち、私たちの視線を１５００年前後の北ヨーロッパの絵画の領域に向けてみるならば、レオナルドのグロテスク・ヘッドの幾つかの素描が、中世末期のオランダの画家ヒエロニムス・ボスの作品、特に≪十字架を担うキリスト≫（1510－16年頃）中の奇怪で生々しい迫害者たちの容貌と紛れもなく呼応していることに気がつくのである。</p>
      <p>　ボスはオランダ南部の都市セルトーヘン・ボスで生涯を過ごした画家だが、彼はレオナルドのように知的な好奇心に駆られて手記を埋め尽くすタイプの芸術家ではなかったらしく、彼の実像や活動についての同時代人の証言も殆ど伝わっていない。シュルリアリスムの展開に伴い、にわかに注目を浴びた当初は、彼が異端の宗教団体（アダム派）に属していたのではないかと推測されたりもしたが、今日までの歴史資料から浮かび上がってくるのは、異端の画家というイメージとは程遠い、平凡な生活を送っていた彼の姿だけである。</p>
      <p>　ところで、ボスの亡年が文書資料を通して１５１６年と明らかなのに反して、彼の生年は不明である。だが、１４９０年頃の記録の中で、彼が独立した画家と記されていることから、その生年は１４５０年代の前半と推定できる。とすると、ボスの生没年はほぼレオナルドと重なり、奇怪な宗教画を描いたことで知られるボスは、≪モナ･リザ≫の画家と同時代人であり、二人は「再生」の期待と「最後の審判」の不安が大きく交錯した１５００年前後の西欧における未曾有の転換期を生きていたことになる。</p>
      <table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
        <tr><td><div align="center">
          <p><a href="http://wako-image.net/images/nb_08.jpg"><img alt="nb_08.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_08.jpg" width="250" height="212" /></a><br />
            オランダの商業都市スー・ヘルトヘン・ボス、シント･ヤンス聖堂の飛梁を跨ぐかたちで彫り込まれた無数の異形の怪物たち、15世紀</p>
          <p>&nbsp;</p>
        </div>
  
</td>
    </tr>
        <tr>
          <td>
  <div align="center">
    <p><a href="http://wako-image.net/images/nb_09.jpg"><img alt="nb_09.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_09.jpg" width="250" height="394" /></a>
        <br />
      ルカ・シニョレルリ、≪グロテスク文様を驚いて見上げる古代ギリシアの哲学者エンペドクレス≫、
      １４９９‐1504年、オルヴィエート大聖堂、
      サン･ブリチオ礼拝堂の基壇の壁画部分</p>
    <p>&nbsp;</p>
  </div>  </td>
    </tr>
        <tr>
          <td>
            
  <div align="center"><img alt="nb_10.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_10.jpg" width="300" height="202" />
    <br />
    ヒエロニムス・ボス≪悦楽の園≫の中央パネル上部（「グロテスク文様」のレパートリーからの影響を示す部分）、
    １５００年頃、マドリード、プラド美術館蔵</div></td></tr>
      </table>
      <p>　ボスに係わって、私たちも彼が全生涯を過ごした南オランダの中世からの商業都市セルトーヘン・ボス（この画家の現在知られる名前はこの町に由来する）のシント・ヤンス大聖堂（15世紀）の傍らに立ってみることにしよう。すると、街路からもその一部が見える飛梁（中央の一段高い身廊を文字通り支える石造の梁）には、ほぼ１，2メートル間隔で、ケネス・クラークの言うさまざまな異形の怪物たちが彫り込まれているのに気がつく。ボスは、この町の職人たちを通じて、これらを良く知っていただろう。また今日では、中世ヨーロッパの大聖堂の外壁の彫刻から手写本の挿絵の端部に至るまで、これらのイメージは、神聖な中心部を聖別するための周縁部図像を形成していたことが分かっている。したがって、ボスは「グロテスク・ヘッド」に加えて、イタリア･ルネサンスの時代に再生された異教古代に由来する「グロテスク文様」、すなわち多量の版画を通じて、またたく間に全ヨーロッパに伝播した、「さまざまな幻想が凝縮し、・・・雑種（ハイブリット）な生き物が傍若無人に増殖する、生気に満ちた」文様（シャステル）までも同化しえたのである。<br />
        こうした点から考えると、ボスは、イタリア・ルネサンス世界から遠く離れた北欧の小都市で暮らしながらも、レオナルドの「グロテスク･ヘッド」とともに「グロテスク文様」までも実に素早く吸収して彼独自なイメージに変貌させており、おそらく彼が変貌させた画像の一部は再びイタリアへと還流していったと思われる。</p>
      <p>　１５００年に前後する時代に、イタリア・ルネサンスと北ヨーロッパと間で頻繁な往復運動が生じた要因は、「僧侶も、市民も、本を読むことを学んだ農民も、君主や高位の聖職者も、歴史の大きな区分、すなわち世界の「革新」と最後の大異変が迫ってきていることを明らかにする壮大な幻想的表現を必要とした」点（シャステル）に求められると思われ、まさにこの点にこそ、この時代の重要な「象徴形式」が存在していたのである。この時期のさまざまの分野で傑出していた人物たち、たとえば、イタリアのマキァヴェッリやユリウス二世、フィチーノやレオナルドも、フランスのラブレーやドイツのデューラーも、さらにはオランダのボスもまた、この驚くべき対照性を生み出す渦巻きのただなかに否応なく巻き込まれていた。</p>
      <p>　だが、このささやかなエセーの冒頭から性急な結論を引き出そうとする愚は控えるべきだろう。とりあえず、次回に再びレオナルドの初期素描（「奇想の鎧兜」を身にまとう武将）を切り口に放しを進めてゆく際に重要な意味を持つことになる２点の作例を挙げ、今回の導入部の話をひとまず締め括ることにしたい。</p>
      <table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0"><tr><td><div align="center">
        <p><a href="http://wako-image.net/images/nb_11.jpg">
                <img alt="nb_11.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_11.jpg" width="250" height="332" /></a>
          
          <br />
          伝アントニオ・ポライウオロ（1429－1498）作≪トルコの大官≫、（彫金版画、1460年頃）、ロンドン、ブリティッシュ・ギャラリー蔵<br />
        </p>
      </div>
  </td>
    </tr>
        <tr>
          <td>
  <div align="center"><a href="http://wako-image.net/images/nb_12.jpg"><img alt="nb_12.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_12.jpg" width="250" height="330" /></a><br />
    レオナルド･ダ･ヴィンチ、≪武将の肖像≫、１４８０年頃、素描、ロンドン、ブリティッシュ・ミュウゼアム所蔵  </div></td></tr>
      </table><span>]]></description>
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<category>せんせい日記</category>
<pubDate>Sat, 02 Aug 2008 22:53:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>松村一男先生：イヌのつれづれ２</title>
<description><![CDATA[<p>　前回に引き続きイヌの話です。以前まだいまほど大学の仕事が忙しくなかったころ（まるで昔話のはじまりみたいだが・・・）、松枝先生とイメ文を中心とした１０数名の学生たちと一緒にロンドンとパリを卒業式の前に２週間にわたってフィールドワークをしました。今は海外でのフィールドワークでは事故への警戒がとても強くなって、前もって相当な準備が求められるのですが、学生たちが計画したものだったけど、幸い事故もなく、かなり有意義なフィールドワークと楽しい思い出を作ることができました。</p>

<p>　その時に出会ったイヌが写真のものです。<img alt="080608.jpg" src="http://wako-image.net/images/080608.jpg" width="300" height="225" />場所はパリのマレ地区にあるポンピドゥー・センターの近くです。ピカソ美術館の帰り道でした。人間より大きいくらいのイヌでただただビックリ。ちなみに一緒に写っているは学生さんのひとりです。建物や風景と違い、イヌはなかなかいいタイミングで写真が取れないので、これでも精一杯でした。</p>

<p>　その後また昨年の夏にパリを訪れる機会があり、イヌにも出会って写真を撮りました。次回はそちらのイヌを紹介します。</p>]]></description>
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<category>せんせい日記</category>
<pubDate>Sat, 31 May 2008 23:02:07 +0900</pubDate>
</item>
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<title>松村一男先生：イヌのつれづれ</title>
<description><![CDATA[<p>　久しぶりの先生日記への登場です。去年、今年と授業のコマ数の配分を間違えてしまい、去年は普通より少なく、今年は普通より多くなってしまい、苦しんでいます。おまけに今年は「日英比較文化論」という、一見畑違いの授業もしているので、先生日記にエネルギーを注ぐ余裕がなくて、ずっとご無沙汰していたのですが、たまには書いてよというお誘い（ご命令？）をいただいたので、こうして書いている次第です。以上、言い訳でした。</p>

<p>　とくにこれといった趣味もなく、定年後は濡れ落ち葉になること必定のボクなので、何を書こうか迷いましたが、今回はイヌのことにしました。安直かもしれないけど赦してね。</p>

<p>ウチにもいるんです、イヌが。オスで年齢５歳。家族が飼っています。ボクも子供のころにイヌを飼っていました。しかし、面倒を見ていたのははじめのうちだけで、途中からは飽きてしまいました。それ以後イヌに対してはずっと罪悪感を抱いてきました。だからボクは自分ではイヌを飼いません。責任がもてない。しかし、家族が飼っているということはけっきょく一緒にいるわけで、ときどきは散歩をさせています。写真をご覧ください。ボクとはぜんぜん違うタイプです。<a href="http://wako-image.net/images/080509.jpg"><img alt="080509.jpg" src="http://wako-image.net/images/080509-thumb.jpg" width="350" height="263" /></a></p>

<p>　ということで第一回目は自分のところのイヌの写真です。次回からは旅行先で撮ったイヌの写真を紹介していきくつもりです。あまり期待しないでお待ちください。</p>]]></description>
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<category>せんせい日記</category>
<pubDate>Fri, 09 May 2008 17:42:59 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>2007年度卒論・卒制紹介⑤「古典の紫」</title>
<description><![CDATA[<p>馬場希さんの卒業制作は「古典の紫」。もともと植物が好きだったという馬場さん。庭文化に興味を持ち京都御所の坪庭を知ったことから、源氏物語の世界に触れたことが、このテーマを選ぶきっかけとなった。<a href="http://wako-image.net/img/nagasawa.jpg"><img alt="nagasawa.jpg" src="http://wako-image.net/img/nagasawa-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a></p>

<p>源氏物語には多くの植物が登場する。それらを全て調べてみると、重要人物はみな花や色彩として紫色を持っていることに気がついた。花がどういうものかはわかったが、衣服についてはどういう色なのかがわからない。「藤のかさね」とはどういうものなのか、疑問がわいた。</p>

<p>「『藤がさね』だからって、藤を使って染めているわけじゃないという。じゃあ、何で染めたんだろう、と。そしたらそれは「ムラサキソウ」という植物だよ、というのを知って、では実際に染めて、当時の色ってこんなのだったのかなと見ていった」</p>

<p>当時の「紫」を求めて、馬場さんの染色が始まった。椿を採取し、灰を作って、染色を繰り返す。染色は難しかったが、それが面白くもあった。</p>

<p>「ムラサキソウって不思議で、温度が低いと薄い紫になるんですよ。でも高ければ濃くなるのかって言ったらそういうわけじゃなくて、今度は高くなると灰色になっちゃうんです。」</p>

<p>話しながら見せてくれたのは、高温で染めたという布である。ねずみ色のような色をしている。これを「メッシ」――「滅紫」というのだと教えてくれた。</p>

<p>繰り返し染めた何枚もの「紫」。その過程で、温度と染色に必要なアルミニウムの関係が濃度と明度を決めているのかもしれない、そう気がついたときは「ちょっとときめいた」。</p>

<p>しかし課題も残っている。「紫の起源」を探って中国までたどり着いたが、その先がわからない。しかし「紫」という字に含まれる「糸」の意味とは何なのか。今後どうやって調べたものか、検討中だという。<br />
最後に下級生へのアドバイスをきいてみた。</p>

<p>「やっぱり問題意識を持つこと。たとえば、３年生の夏にはもう「こういうことやるんだ」と決めておいて、夏休みに下調べをすることかなと思いました。」</p>

<p>そんな馬場さんはおよそ３年越しの取り組みだった。紫色の追跡は、和紙に美しく綴じられている。</p>]]></description>
<link>http://wako-image.net/2008/04/2007_5.html</link>
<guid>http://wako-image.net/2008/04/2007_5.html</guid>
<category>学生論文・作品</category>
<pubDate>Wed, 30 Apr 2008 15:48:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>2007年度卒論・卒制紹介④「コジモ一世時代の第一書記官について：絶対君主をめざしたコジモのブレイン的存在とは」</title>
<description><![CDATA[<p>橋本菜々さんの卒業論文は「コジモ一世時代の第一書記官について：絶対君主をめざしたコジモのブレイン的存在とは」。時は１６世紀、フィレンツェ公国の２代目君主コジモ一世の時代に登場した３人の第一書記を個別に人物視点からあたった。<a href="http://wako-image.net/img/matumura.jpg"><img alt="matumura.jpg" src="http://wako-image.net/img/matumura-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a></p>

<p><br />
第一書記とは、今の日本で言う首相のような存在であるという。いわば、君主の右腕である。もともと「軍師や参謀といったブレイン的存在が好きだった」という橋本さん。大学２年のときに訪れたイタリア・フィレンツェでコジモ一世に惚れ込み、「第一書記」という存在を知ってから、「これは調べるしかない」と思った。</p>

<p>その第一書記の魅力を、橋本さんはこう語る。</p>

<p>「この人たち皆、貴族とかじゃないんですよ。フィレンツェの外にいた平民が自分で勉強して、知恵をつけてコジモのところに才能を売り込んできて、それをコジモが拾い上げいくんですね。自分の実力のみしか頼るものが無くて、自分の知恵で這い上がってくるというところにロマンを感じます。」</p>

<p>しかし先行研究はほとんどなく、イタリア語もわからない状態から手探りで研究を進めた。何日徹夜をしたかもわからない。ようやく翻訳した資料は本論と関係なく・・・ということもあった。</p>

<p>それでもイタリア語を読み進めていくうちに新しいことがわかると、「ドキドキしてもう夜眠れない」。論文を書くにあたってのアドバイスをたずねると、「恋したもの勝ち。情熱ですかね」と実に楽しそうだ。<br />
知識を求めて明治大学のゼミに２年間通い、勉強し続けた橋本さん。その集大成である卒論の結論は、橋本さんなりの第一書記の定義である。</p>

<p>「私が調べて思った第一書記というのは、君主コジモ一世が、自分の気に入った人材、この人有能だなって思った人材を、自分の政権の中で自由に活躍させるためのお墨付きみたいなものが第一書記だったのではないかと、そういう結論になりました。」</p>

<p>最後に、「勉強をする作戦」を教えてくれた。</p>

<p>「私メディチ家に興味を持って、早稲田大学の講義に潜り込んだんですね。それで実はコジモ一世について勉強したいんですよって言ったら、その早稲田大学の先生が明治大学の先生を紹介してくれて。強いて言うなら、他の大学にもぐってみる、それでそこから伝手を捕まえてみるっていうのも、何かを勉強する作戦なのかもしれないな、と。」<br />
</p>]]></description>
<link>http://wako-image.net/2008/04/2007_4.html</link>
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<category>学生論文・作品</category>
<pubDate>Tue, 01 Apr 2008 15:44:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>2007年度卒論・卒制紹介③「『毒のある助言』からみるロシアの現代社会」</title>
<description><![CDATA[<p>酒井智子さんの卒論題目は、「『毒のある助言』からみるロシアの現代社会」。ロシアの児童文学作家グリゴーリィ・オスチョールの作品『ブレドリーニ・サヴィーティ』を題材に、ロシアの現代の生活や情勢を読み解いていこうという試みである。<a href="http://wako-image.net/img/sakai.jpg"><img alt="sakai.jpg" src="http://wako-image.net/img/sakai-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a></p>

<p>このテーマを選んだきっかけは、２００５年に国会図書館で行われた「ロシアの児童文学展」だった。古典とされる口承文芸やお伽噺、あるいは現代の道徳的な児童文学の中で、風刺色が強く反面教師的なジョークが多いこの作品に興味を引かれた。</p>

<p>その後、原書を手に入れることができた。邦訳は出版されていない。辞書を片手に、翻訳を始めた。<br />
ロシア語は１年のときに選択していたが、文学作品を翻訳には苦労が多かったという。</p>

<p>「詩ですから、韻を良くするために普通に書いたり話したりするのとは違う順番だったりというのがあるので、文法的な勉強だけでは訳すのが大変でした。」</p>

<p>さらに翻訳だけではなく、その物語が意味することを考察するためにはロシアの政治史の勉強がかかせない。そのために上智大学のソビエト政治史の授業に聴講生として参加し、専門知識を深めた。<br />
すると、翻訳だけでは読み取れなかった作品の真意が見えてくる。</p>

<p>「（作品を）読んでいく中で、政治史だとかを知らないと、「これは何を言っているのかな」とかがわからないんです。政治史だとかを踏まえての作品なので、それを読み解いていくのが一番楽しかったですね。」</p>

<p>原書『ブレドリーニ・サヴィーティ』は９５年から２年間、雑誌に掲載された作品である。本文に見られる「戦争」や「内戦」といった言葉からは、当時の社会情勢がうかがえる。<br />
酒井さんは、この本だからこそ、９５年ころの現代情勢が生活の様子が読み取れたという。</p>

<p>ソ連崩壊後のちょっとした混乱を描いているこの作品は、現在も本屋の店頭に多く並んでいるという。<br />
ロシアには「アクネドート」という風刺があり、それが児童文学作品にも入ってきたと感じる酒井さん。それが何を意味するか、聞いてみた。</p>

<p>「ソ連崩壊でずいぶんアイデンティティクライシスが起こったようなんです。ソビエトという大国の一員である、というのがガラガラと崩れていって。気持ち的な混乱がすごく大きかったと思うんですね。それで、きれいな道徳だけではまかなえなくなって来たんじゃないかな、と思います。」</p>

<p>現在のロシアを見つめ、今後もこの著者にならう若者が増えるのではないかと考えている。<br />
</p>]]></description>
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<category>学生論文・作品</category>
<pubDate>Mon, 31 Mar 2008 15:39:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>2007年度卒論・卒制紹介②「定本 青猫」（後編）</title>
<description><![CDATA[<p><strong>『青猫』詩の解釈より</strong><br />
 <br />
都会の夜空に眠る「青猫」の影。<br />
“都会への郷愁”を一つの美の形にした。<br />
夜空に「電線の青白いスパーク」の映る幻の都会。そこに近代の生活と情操と美が存在するところとして、田舎を異なる魅惑的なところとして青猫の影の映る都会を夢見たのである。<br />
 <br />
独りのさびしい男の影―――<br />
虚無の世界から都会を思う<br />
ホイッスラーの『青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ』のような孤独のイメージ</p>

<p></p>

<p><strong>『怠惰の暦』詩の解釈より</strong><br />
<a href="http://wako-image.net/images/080229_01.jpg"><img alt="080229_01.jpg" src="http://wako-image.net/images/080229_01-thumb.jpg" width="195" height="278" /></a><br />
季節は春だろうか？<br />
こんな憂鬱の中で彼はとてもつまらないとふくれている。<br />
「もう暦もない　記憶もない　私は燕のように巣立ちをし、そうしてふしぎな風景のはてを翔けてゆこう」とまた旅へ出掛ける。<br />
彼は愛する猫の思い出だけがいまは情熱的に心の中を燃やしている。<br />
その灯火を入れて彼はまた旅に出る。<br />
“道先案内人の猫”の図</p>

<p><br />
<strong>『定本青猫』作業工程表より</strong><br />
 <br />
〈用意するもの〉<br />
□『青猫』　萩原朔太郎・作<br />
□デジタル一眼レフカメラ</p>

<p>〈工程〉<br />
一、作者に近寄ってみる<br />
　・詩を読んでみる<br />
二、 音読してみる　　<br />
　・部屋で読んでみる<br />
　・現地で読んでみる<a href="http://wako-image.net/images/080229_02.jpg"><img alt="080229_02.jpg" src="http://wako-image.net/images/080229_02-thumb.jpg" width="287" height="186" /></a><br />
三、  詩作について他の文献に触れてみる<br />
　・『新潮文学アルバム』<br />
　・『伝記　萩原朔太郎』嶋岡晨<br />
　・『父・萩原朔太郎』萩原葉子<br />
　・『詩を読む人のために』三好達治<br />
　・海外の詩を読む　　　その他　　　　　　　<br />
四、  原稿用紙に書いてみる<br />
　・万年筆で書いてみる<br />
　・鉛筆で書いてみる<br />
　・紙にもペンにもこだわってみる<br />
五、  一篇ごとに詩の解釈を起こしてみる<br />
　・69枚の詩の題名が入ったカードを作る<br />
　・表に題名、裏に解釈を書く<br />
　・床に置いて眺める<br />
六、  萩原朔太郎の他の作品を読んでみる<br />
　・『月に吠える』<br />
　・『氷島』<br />
　・『猫町』　　　　　その他<br />
七、  沈殿するのを待つ<br />
　□待つ時間にすること<br />
　・動物園に行ってみる<br />
　・港に行ってみる<br />
　・マンドリンを聴く<br />
　・映画を観る<br />
　・とにかく散歩する<br />
<a href="http://wako-image.net/images/080229_03.jpg"><img alt="080229_03.jpg" src="http://wako-image.net/images/080229_03-thumb.jpg" width="181" height="236" /></a><br />
八、  描く<br />
　・前橋で描く<br />
　・都内で描く<br />
　・散歩先で書く<br />
九、 撮った写真を観照する<br />
　・取拾する<br />
　・再想起する<br />
十、詩集をつくる<br />
　イ、本のデザインを起こす<br />
　ロ、データをＰＣに打ち込む<br />
　ハ、編集<br />
　二、印刷用紙を選ぶ<br />
　ホ、印刷する<br />
　へ、紙を裁断<br />
　ト、製本 <br />
十一、提出する<br />
 <br />
補遺　CAFÉで追想する<a href="http://wako-image.net/images/080229_04.jpg"><img alt="080229_04.jpg" src="http://wako-image.net/images/080229_04-thumb.jpg" width="477" height="150" /></a></p>]]></description>
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<category>学生論文・作品</category>
<pubDate>Fri, 29 Feb 2008 22:39:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>2007年度卒論・卒制紹介①「定本 青猫」（前編）</title>
<description><![CDATA[<p><strong>『序』より</strong><br />
 <br />
それは衝撃だった。<br />
谷川俊太郎に倣えば、ある日突然「猫」ということばがわたしの中でつながった。<br />
 <br />
図書館の帰り道、私の前に一匹の猫が通り過ぎた。<a href="http://wako-image.net/images/080218_01.jpg"><img alt="080218_01.jpg" src="http://wako-image.net/images/080218_01-thumb.jpg" width="224" height="298" /></a><br />
そんなことは別に珍しいわけではないが、私の中で突然、『コカコーラ・レッスン』の主人公のように私の頭の中に「猫」ということばが一斉に広がった。<br />
　「猫」、「猫」、「猫」、「猫」、「猫」、「猫」！<br />
いつか図書館で読んだ『定本青猫』がぱっと脳裏に浮かんだ。<br />
そうだ、最近やっと文学が身近に感じられた私にとって、これでなにかやってみるべきだと閃いた。<br />
 <br />
 <br />
 <br />
朔太郎が鉛筆や万年筆で詩を書くように、私は『定本青猫』を写真で描く（書く）。<br />
何故写真かというと、私が写真を好きで撮っていることもあるが、</p>

<p>「～そしてすべての風景は、カメラの磨硝子に写った景色のやうに、時空の大四次元で幻燈しながら、自奏機の鳴らす侘しい歌を唄っている。その侘しい歌こそは、すべての風景が情操している一つの郷愁。即ちあの「都会の空に漂う郷愁」なのである。」</p>

<p>と朔太郎が言うように、彼は写真の中からもそれらの風景を見ていたのだ。（同じく朔太郎も写真をよく撮っていた）。そして彼の詩の悲しい憂鬱な、デカダンスなものがとても私に共鳴するものがあると感じたからである。</p>

<p> <br />
<a href="http://wako-image.net/images/080218_02.jpg"><img alt="080218_02.jpg" src="http://wako-image.net/images/080218_02-thumb.jpg" width="232" height="197" /></a>自序で朔太郎が「元来私の書物に於ては、挿繪が単なる装飾でなく、内容の一部となって居るのであるから～」<br />
といっているが、私はそれに倣って、詩の中に描かれていないことや、なにかヒントとなる言葉から、それらを考え朔太郎のやらんとしたことを感じたいと思った。</p>

<p><br />
それによってまた何か新しいものが見えてくるのではないか、少しでも朔太郎の頭の中を覗いてみたいと思った。その風景を見つけて写真におこしてみる。それが朔太郎特有の“遊び（エスプリ）”なのではないかと思う。今回私が突き詰めたかったのはその“遊び”である。<br />
 <br />
 <br />
 <br />
本の構成は、詩に対応した写真が69枚あり、そのうち掲載した写真のいくつかに朔太郎の詩と私の詩の解釈を載せた。中表紙の前に創作過程を、巻末に覚書のかわりに自分で書いた詩を載せた。<br />
『定本青猫』の挿絵を一つの旅行記として捉え、表現した。</p>]]></description>
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<category>学生論文・作品</category>
<pubDate>Mon, 18 Feb 2008 23:31:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>2007年度卒論・卒制合評会を開催しました。</title>
<description><![CDATA[<p><a href="http://wako-image.net/images/sotsuron.jpg"><img alt="sotsuron.jpg" src="http://wako-image.net/images/sotsuron-thumb.jpg" width="360" height="270" /></a><br />
1月31日、2007年度の卒論・卒制合評会を開催しました。</p>

<p>今年度報告に参加したのは、坂井ゼミ・永澤ゼミ・松枝ゼミ・松村ゼミに所属している18名。作品・論文展示ありで、合評聴講者が30名という盛況ぶりでした。</p>

<p>古代の色をテーマにした染色（制作）や、ロシア児童文学を翻訳から挑戦し現代社会を読み解いた論文、身近な伝統「風呂敷」をテーマにした報告（論文）など、今年もさまざまな研究が報告されました。</p>

<p>当日は飛び入り参加の報告者も登場。今後の課題と研究の継続が希望されるテーマが続出しました。<br />
詳しい研究内容は引き続き本ホームページに連載してゆきます。どうぞお楽しみに！</p>

<p>＜発表者一覧＞<br />
●坂井ゼミ<br />
酒井智子 「『毒のある助言』からみるロシアの現代社会」（卒論）<br />
今村賢司 「モンゴル帝国における東西交流」（卒論）<br />
横張雅樹　「「ジプシー」のイメージの相違」（卒論）</p>

<p>●津野ゼミ<br />
櫻井なおみ 「足の博物誌」（卒制）<br />
檜山美穂 「定本 青猫」（卒論）　</p>

<p>●永澤ゼミ<br />
福川啓介 「昭和３０年代「古き良き日本」と現代社会の相違」（卒論）<br />
町田　祐 「浅草、オヤジの文化」（卒論）<br />
青木みぎわ 「ボス～キリスト受難と肖像～」（卒論）<br />
大野友香 「ジャパニーズ・アジア雑貨」(卒論）<br />
渋谷展子 「ゴッホの宗教画と模写」(卒論）<br />
臺 まり子 「共存ずる光と闇　ジェームズ・タレルを中心として」（卒論）<br />
馬場 希 「古典の紫」（卒制）<br />
前澤慶子 「『顔を見る』歴史　～人相学から人創学へ～」（卒論）<br />
岡澤有希 「美術館は楽しい　～鑑賞教育からみた人と美術館～」（卒論・展示のみ）<br />
野田祥子 「Ｓｍａｌｌ　Ａｎｉｍａｌｓ～絵画にみる動物観～」（卒制・展示のみ）</p>

<p>●松枝ゼミ<br />
根岸和恵 「風呂敷について」（卒論）</p>

<p>●松村ゼミ<br />
左貝梨紗 「罪」（卒論）<br />
高橋綾香 「ウインナー教」（卒論）<br />
橋本菜々 「コジモ一世時代の第一書記官について：絶対君主をめざしたコジモのブレイン的存在とは」（卒論）<br />
平林里葉子 「地理情報認知促進のための実践的モデル制作」（卒制・代読）<br />
宮本丈治 「『神話』と云う名の物語」(卒制）</p>]]></description>
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<category>委員会学生日記</category>
<pubDate>Mon, 04 Feb 2008 23:52:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>バウルと和光の6時間～「アジアの芸能」特別講演・公演　&quot;バウル&quot;レポート</title>
<description><![CDATA[<p><a href="http://wako-image.net/images/baul_02.jpg"><img alt="baul_02.jpg" src="http://wako-image.net/images/baul_02-thumb.jpg" width="320" height="240" /></a>さる6月29日、インドから来日中の超カースト吟遊詩人 「バウル」を迎えての総合文化学科主催のレクチャーコンサートは成功のうちに終了しました。</p>

<p>メンバーはインド人三人と日本人一人の計四人からなり、主催者の二人と併せて六人が来校されました。濃いオレンジ色のインド服を着た彼らが、Ａ棟前のバス乗り場に立っている姿は、インドの旅芸人が初めて和光大に第一歩を記した記念的瞬間だったのです。</p>

<p>宣伝期間が短かったこともあって、参会者は四十人前後で、Ｊホール会場ではちと寂しい趣きも感じられましたが、そこは海千山千の楽士軍団。マイクなど一切使わずに、生の楽器演奏と歌声だけで、集まった聴衆を虜にしてしまいました。</p>

<p>学外からの参加者も多く、南アジア関係者だけではなく、小さな子ども連れのお母様方の顔がたくさん見えました。親子そろって、この和光大でインドの芸能を身近に堪能できたことを感謝されました。</p>

<p><a href="http://wako-image.net/images/baul_01.jpg"><img alt="baul_01.jpg" src="http://wako-image.net/images/baul_01-thumb.jpg" width="320" height="240" /></a>短い時間の中で、楽士の皆さんは消化不良気味だったようで、場所を移しての懇親会では、楽器と踊りがとまりませんでした。<br />
本学生でフラメンコの達人が、恥ずかしげに手拍子に加わっていたと思ったら、次の瞬間には一緒に踊っていました。子どもたちは、楽士が身につけていた貴石の首飾りをさわらせてもらっていました。</p>

<p>大入り満員ではありませんでしたが、この催しを本当に必要としている人が必要なだけ集まって、非常に内容の濃い空間を作っていました。事務方のあたたかい協力があったからこそ実現したことはいうまでもありません。</p>

<p>バウルが来校して気がつくとあっという間に6時間がたっていました。旅芸人たちは次の国をめざして帰って行きました。</p>

<p>私たちに残された仕事は、フィールドワークの資料作り。映像や画像を編集してプレゼンや保存用の資料を作る作業 が終わって初めて、このフィールドワークに幕がひけることでしょう。</p>]]></description>
<link>http://wako-image.net/2007/07/new6.html</link>
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<category>イベントあれやこれや</category>
<pubDate>Fri, 13 Jul 2007 21:53:42 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>進路に向けて（２）～４年生・福川さんの教育実習レポート</title>
<description><![CDATA[<p><a href="http://wako-image.net/images/nagasawa_01.JPG"><img alt="nagasawa_01.JPG" src="http://wako-image.net/images/nagasawa_01-thumb.JPG" width="320" height="240" /></a><br />
　５月から６月にかけて、イメージ文化学科の何人かの四年次生が教育実習で母校に赴き、貴重な体験をしてきています。すでに、母校の公立中学で英語の教科実習をした横張君の第一報は、このホーム・ページに掲載されています。</p>

<p>その記事に引き続いて、永澤ゼミの福川啓介君が、母校の星槎（せいさ）国際高校で６月１２日に行った国語科の授業実習について、私（永澤）が参観した際のことをごく手短に報告したいと思います。</p>

<p><br />
　実習に出かける前に、ぜひ参観に来てほしいと申し出た時の緊張気味な様子とは違って、その日の朝、福川君は母校の教員室で実に晴れやかな表情で私を迎えてくれました。</p>

<p>教壇に立つのが自分の母校だと、硬くなりがちなはずですが、周りの先生方から親切な指導をして頂いてきたこと、それに応えて彼自身も十分に努力して自信を得てきたことが、この日の彼の実習からとてもよく伝わってきました。</p>

<p>国語科の担任の先生とよく相談し、また練習も繰り返したのでしょう、授業プランはほぼ１０分刻みで立てられていましたが、細かい予定に追われて授業を進めているという印象を、生徒たちには無論のこと、授業参観している多くの先生方にもまったく感じさせない、余裕のある教え方でした。</p>

<p>このことは、授業の出だしから、はっきりと見てとれました。福川君は、配布資料の問題に入る前に、漢字の旁（つくり）を一つ出して、その旁を持つ一文字の漢字をどれだけ書けるかという、短い「漢字クイズ」で生徒たちの興味を惹き起こし、彼たち、彼女たちのこわばった気持ちを解きほぐすことから、授業を始めたからです――これは、ひょっとして、大学の国技科の教職担当の津田先生から直伝の教授法だったのでしょうか？</p>

<p>以後、万事がこうした調子で進み、早く出来て積極的な生徒、授業に気が乗らずあまり出来がよくないように見える生徒、気が弱くしり込みしがちな生徒など、生徒たちのレヴェルはさまざまでしたが、授業の半ばには、ほぼ全員が彼の授業に引き込まれてゆきました。</p>

<p>福川君の気取りのない素直な教え方、ユーモラスな話を交えて、生徒たちをリラックスさせながらも、ある程度の緊張感を保たせる話術など、彼の「国語科の先生になりたい」という熱い思いが、この実習に確かな形で現れていたと思います。</p>

<p>また、「眼が届く」、「耳が遠い」などの身体の部分に関連する慣用句や、世界の国名の漢字読みの問題なども授業のプログラムに加えて、手描きの図を板書し、国名から連想されるイメージについても触れ、さすが「イメージ文化」学科の学生という面も披露してくれて、私は非常に嬉しく思いました。</p>

<p>　ほぼ満点といってよい実習でしたし、これまでの熱心な勉強と今回の貴重な経験をもとにすれば、藤川君が実際の教壇に立つ念願がかなう日も近いように感じた授業実習の参観の一日でした。<br />
<strong>（永澤　峻）</strong></p>]]></description>
<link>http://wako-image.net/2007/07/post_56.html</link>
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<category>卒業後の進路</category>
<pubDate>Thu, 05 Jul 2007 23:36:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>進路に向けて～４年生・横張さんの教育実習レポート</title>
<description><![CDATA[<p><a href="http://wako-image.net/images/photo002.jpg"><img alt="photo002.jpg" src="http://wako-image.net/images/photo002-thumb.jpg" width="250" height="186" /></a>5月から6月にかけての3週間、母校である神奈川県内の公立中学校に英語の教科で実習に行きました。実習先の環境は非常によく、実習生としてお世話になっているにもかかわらず、先生方は皆親切で、多くのアドバイスをいただきました。</p>

<p><br />
失敗したことはたくさんあります。中でも反省すべきはやはり授業のことです。主に２年生を担当しましたが、２時間だけ１年生の授業も経験させていただきました。１日、準備する時間はあったのですが、気が緩み、形にもならない授業をしてしまいました。おおよその授業の流れ、その中で行う活動は決まっており、それを担当指導教諭と同じようにやるだけであれば難しいことは無いと軽視してしまったことが、自身の反省すべき点であると感じています。何事も準備をしてしすぎることは無いということを改めて痛感しました。</p>

<p><br />
成功だと思えることもまた、授業のことです。まだまだ至らないところはあったとは思いますが、今できることは全て出すことができたのではないかと思っています。それがとてもよかったところです。やはり多くの時間を費やし一つの授業を作っていくことが大事だと感じました。時には指導教諭に自分の考えを言って、それに対する意見をいただくことも大事です。何度か納得できないことについては、じっくり話をした気がします。指導教諭とは、教科のことだけではなく、むしろ教師とは何か？ということを話しました。実習生が意見をしているにもかかわらず、必ず聞いていただけたので、凄くありがたく、また勉強にもなりました。授業に関しては、放課後、教室で一通り授業を練習することも大事なことだったと思います。</p>

<p><br />
<a href="http://wako-image.net/images/photo001.jpg"><img alt="photo001.jpg" src="http://wako-image.net/images/photo001-thumb.jpg" width="250" height="272" /></a>教育実習を行って良かったことは多く、それらは、他の教育実習生と協力し合えたこと、指導教諭に恵まれていたこと、体育祭を経験できたこと、何より生徒たちが慕ってくれたことなど、様々です。<br />
学校の雰囲気が昔とずいぶん変わっており驚かされましたが、その変化も、教師の意識が変わっていったことが大きいと聞きました。大きな目標に向かって教師が協力し、注意しあう、そういったチームワークが教師には必要だということを聞きました。</p>

<p><br />
この実習で言われたことは、子どもにどうなって欲しいのかをもって接することでした。けれども、「どうなって欲しいか」を持つことは、子どもに教師の影響を与えすぎるし、こうなって欲しいというものを前提にしたら、子どもをある一点からしか見ようとしなくなるのではという不安から「どうなって欲しいか」を持って接することはできませんでした。でも、実習後もバイト先に遊びに来てくれる子を見て、この子達をサポートしていける人間でありたい。そのためにはもっと自分を磨かなくてはいけないと心から思っています。</p>

<p><strong>（イメージ文化学科4年　横張）</strong></p>]]></description>
<link>http://wako-image.net/2007/06/post_54.html</link>
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<category>卒業後の進路</category>
<pubDate>Mon, 25 Jun 2007 16:54:47 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>「アジアの芸能」特別講演・公演　&quot;バウル（baul）&quot;</title>
<description><![CDATA[<p><a href="http://wako-image.net/images/baul-03.jpg"><img alt="baul-03.jpg" src="http://wako-image.net/images/baul-03-thumb.jpg" width="200" height="133" /></a>総合文化学科講義「アジアの芸能」では、6月29日金曜日、アジアに強い和光大学の挑戦として、インド東部ベンガル地方から来日中の楽人集団「バウル Baul」をテーマとした特別講演と公演を、インド関係のフィールドワーク行事としてははじめて行います。</p>

<p><br />
バウル（baul）という言葉は、サンスクリット語のvahul（常軌を逸している、または風に左右されているという意味）に由来しています。バウルは、音楽を通じて神に到達しようとする流浪の信者たちのことをさしています。</p>

<p><br />
<a href="http://wako-image.net/images/baul-01.jpg"><img alt="baul-01.jpg" src="http://wako-image.net/images/baul-01-thumb.jpg" width="200" height="145" /></a>ベンガル（バングラデシュを含む）特有のバウルは、サハジーヤ（Sahajiya）として知られる神秘主義の伝統を保持する吟遊詩人です。17世紀初頭に、バウルを歌唱することによって、信仰心を表現するようになりました。ヴィシュヌ派の詩人が、バウルの歌う人間の死生観をめぐる哲学概念の基礎を与え、さらにはバウルの語りと美的表現の形式をもたらしました。</p>

<p><br />
バウルは、人間という媒体を通じて神の美が具現されうると信じています。</p>

<p><br />
<a href="http://wako-image.net/images/baul-04.jpg"><img alt="baul-04.jpg" src="http://wako-image.net/images/baul-04-thumb.jpg" width="200" height="133" /></a>構成は全体として二部構成をとります。<br />
第一部：「アジアの芸能」特別講演<br />
第二部：バウルによるレクチャーコンサート</p>

<p><br />
第一部の特別講演は、小西正捷 立教大学名誉教授による「ベンガルの吟遊詩人バウル−その社会と思想」です。小西先生は、南アジア世界の考古学、美術、芸能の専門家として日本を代表する学者で、自ら留学し、調査したインド東部ベンガル地方の芸能および芸能者たちの文化人類学的、宗教学的基層をお話いただける予定です。</p>

<p><br />
第二部は、現在来日中の四人のバウルによるコンサートとなります。離日直前の忙しいスケジュールをぬって、和光大学のために歌いに来てくれました。総合文化学科の発足を記念し、その発展を祈念して、バウルの皆さんにはベンガルの音と空気で和光大学をかき回して欲しいものです。</p>

<p><br />
文＝村山 和之</p>]]></description>
<link>http://wako-image.net/2007/06/baul.html</link>
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<category>イベントあれやこれや</category>
<pubDate>Mon, 25 Jun 2007 16:45:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>山本ひろ子先生；最後のセンセイ日記　2冊の本から</title>
<description><![CDATA[<p>月並みだが３月は、別れと出立のとき。この２２日に届いた２冊の本にまつわる話でセンセイ日記を閉じることにしよう。</p>

<p><img alt="sensei_last02.jpg" src="http://wako-image.net/images/sensei_last02.jpg" width="169" height="240" />第一の本は、昨年３月に逝去された二宮宏之氏著『フランス アンシアン・レジーム論』(岩波書店)でご遺族から送られてきた。５０年にわたる二宮さんの研究を通観できる論文集になっている。</p>

<p>二宮さんとは、『歴史を問う』（岩波書店）という全６巻のシリーズでご一緒に仕事をした。学知はもちろんだが、風貌、話し方、これほど素敵な方はそうはいまいと思える魅力的な人物だった。なお彼の研究がフランスの歴史学の領野に留まらなかったことは、５月の「お別れの会」で配られた『ル・モンド』の死亡記事が語る通りである。</p>

<p>「……彼はその認識学的省察と多くの著作を通して日本の歴史学が新たな領域を開拓し、他の分野にまして歴史を叙述する新たな方法を創りだすことに助力した。2003年に死去した偉大な日本中世史家の網野善彦は彼に多くを負っている……。」（「日本の偉大な歴史家　二宮宏之」2006年３月２２日）。　</p>

<p><img alt="sensei_last01.jpg" src="http://wako-image.net/images/sensei_last01.jpg" width="169" height="240" />第二の本は、高知県香南市赤岡在住の野村土佐夫さんが編んだ短編小説集『あの道この道』。長く教育長をつとめた「とさをさん」（自称。私たちもそう呼んでいる）は、赤岡きっての郷土史家で詩人でもある。赤岡の調査で案内をお願いしたのが縁で、昨年の「絵金祭り見学フィールドワーク」では絵金のエロティックな「戯画」のスライドも見せていただいた。学生たちよりも同行の三橋修先生（人間関係学科、この３月に退官）、塩崎文雄先生（表現文化学科）が熱心に見入っていたのはいうまでもない。<br />
　<br />
そういえば『赤岡町史』（1980年刊）は、詩人にして郷土史家の近森敏夫さん（とさをさんの遠縁に当たる）が物語風に綴った本だった。こうした町史は珍しいが、そもそも幕末に活躍した異端の絵師＝絵金といい、牧野富太郎といい、土佐人は畸人が多い。そして私は、「土佐的なるもの」を構想しながら、近年中に『新・土佐日記』といった本を書くつもりでいる。軸となるトポスこそ赤岡で、わずか１．７平方ｋｍの小さな街が、私を刺戟し魅了してやまない。</p>

<p>私は歴史への眼差しを、土佐・赤岡に差し向けることで、二宮さんが志向した「歴史の作法（さくほう）」を自分なりに実践しようとしているのかもしれない。奇しくも同じ日に届いた２冊の書。本としてのすがたはまるで違うけれど、2007年３月という分岐点に立つ私への最高の贈り物となった。</p>

<p>表現学部は改組となり、イメージ文化学科は総合文化学科へとその身を変える。<br />
精鋭メンバーの卒業と私の2007年度の休学（学外研究員）という事情も奇妙に符合して、山本ひろ子研究室はその活動の歴史を閉じることになった。しかし形成し、獲得してきた運動的な知を、すべて封印してしまうわけにはゆかない。それらはすでに外へとつがえられていると宣言して、センセイ日記の稿を終えることにしよう。<br />
</p>]]></description>
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<category>せんせい日記</category>
<pubDate>Fri, 30 Mar 2007 22:11:27 +0900</pubDate>
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<title>卒論・卒制紹介③「絵金と映画」</title>
<description><![CDATA[<p>テーマは「絵金と映画」。「絵金」とは、幕末の土佐で活躍した町絵師で、歌舞伎の場面をきわめて巧妙に構図化した芝居絵を描いて、町の夏祭りに奉納していた大酒呑みの“いごっそう”。わたしの卒業論文は、この絵金の芝居絵の画面と、映画の連続的な画面とを比較する試みだ。</p>

<p>絵金の芝居絵は、かつて絵金を映画化した監督の中平康が指摘したように、きわめて映画的な運動性、時間性をもっている（＊1）。このとき映画と絵金芝居絵は、ともに物語を一画の画面においていかに表現するかという命題を共有しているように思える。ここから、静止画である芝居絵と、動画である映画とがどのように〈物語的時空間〉を構築してゆくのかを、画面の分析に限定して考察した。その逐一をここでご覧いただくわけにはいかないが、とりあえずの結論は、絵金芝居絵の分割的な画面が古典的映画の分析的編集（＊2）に対応しているということと、同時にその芝居絵は古典期以降のピクトリアリズム（＊3）による映画の画面に相似していると思われることの二点。まだまだ先は遠い。</p>

<p>この半年ほど絵金のことばかり考えていて、夢に絵金が出てきさえするほどだった。絵金と映画とを結んでみようとする最初の発想にしばられるあまり、論がいくらか卑屈になった反面、そのことによって映画とは相容れない「土佐的なるもの」を体現した絵金が実感された。論文化されたのは、わずかに絵金と映画とがつながりうるひとつの断面に過ぎず、わたしが学び体験した絵金は、それよりもはるかに大きい。（山本ひろ子ゼミ・萩野亮）</p>

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（＊1）「絵金の映画化について」（「映画芸術」1970年11月号）。中平が監督した映画とは、『闇の中の魑魅魍魎』（1971年／中平プロ）。へんな映画（笑）。<br />
（＊2）古典的映画とは、映画学上の区分で、明確な主人公とストーリーラインを持った、映画史の初期に成立した劇映画を指す。古典的映画は、場面をショットに分割（分析）して構成することに成功した。これを「分析的編集」と呼んでいる。<br />
（＊3）古典期以降とは、ここでは時代にして1930年代後半からを指している。古典的映画に飽き足らなくなった先鋭的な映画作家によって、絵画的な奥行きのある画面と演劇的な演出を施された映画が制作された。たとえばオーソン・ウェルズの『市民ケーン』（1941年／米RKO）はその代表作。<br />
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<category>学生論文・作品</category>
<pubDate>Thu, 08 Mar 2007 19:03:19 +0900</pubDate>
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