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<title>和光大学 - イメージ文化学科</title>
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<modified>2010-02-26T14:07:21Z</modified>
<tagline>こんにちわ。いよいよイメージ文化学科のホームページもゴールを迎えました。またどこかで、お会いしましょう。</tagline>
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<title>イメージ文化学科「ラスト・イベント」</title>
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<issued>2010-02-25T12:18:57Z</issued>
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<summary type="text/plain">1月30日（土）午後1時から和光大学J-104教室にて、表現学部イメージ文化学科の「最後の」催し物が開催されました。</summary>
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<dc:subject>Ｚ学科とは？</dc:subject>
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<![CDATA[<p><img alt="lastevent1.jpg" src="http://wako-image.net/img/lastevent1.jpg" width="250" height="350" />　1月30日（土）午後1時から和光大学J-104教室にて、表現学部イメージ文化学科の「最後の」催し物が開催されました。今年の3月で多くのイメージ文化学科の学生が卒業することで、イメージ文化学科という学科が一応の区切りをつけるということで、それを記念して行われたものです。（もちろんイメージ文化学科の学生がすべて卒業するわけではありません。大学に残ってイメージ文化学科の火をかすかに守る人もまだおります。）このイベントには、専任教員と専任教員であった名誉教授が勢ぞろいしました。会場は学科に縁ある人々で満員御礼。大盛況であったといえるでしょう。</p>

<p><br />
<a href="http://wako-image.net/100225_matsumura.jpg"><img alt="100225_matsumura.jpg" src="http://wako-image.net/100225_matsumura-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
　イベントは松村一男先生の開会の挨拶を兼ねたお話から始まりました。「イメージ文化と／の神話学」と題し、イメージ文化学科を「神話」として解釈しながら、思い出話も交えたお話は、トップバッターにふさわしい興味深いものでした。</p>

<p><br />
<a href="http://wako-image.net/100225_maeda.jpg"><img alt="100225_maeda.jpg" src="http://wako-image.net/100225_maeda-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
　続いて、前田耕作先生からアフガニスタン調査の過去と現在を中心としたお話がありました。「アフガニスタンの悠久の歴史と文化」というタイトルでスライドを多用した、前田先生ならではの豊かな内容の報告でした。和光大学には、イメージ文化学科が誕生するはるか以前からアジア研究の伝統があります。イメージ文化学科はまさにその伝統を正統に継承してきた学科であったといえるでしょう。</p>

<p><br />
<a href="http://wako-image.net/100225_matsueda.jpg"><img alt="100225_matsueda.jpg" src="http://wako-image.net/100225_matsueda-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
　イメージ文化学科を代表する松枝到先生からは、「奈良からパキスタンへ」と題し、さまざまなフィールドワークの思い出などをしていただきました。ユーモアを交えたいつもながらの松枝節に場内はしばしば爆笑。学科創設のころの話にはじまり、10年間の歴史を適切かつ簡潔に振り返ることができました。</p>

<p><br />
<a href="http://wako-image.net/100225_nagasawa.jpg"><img alt="100225_nagasawa.jpg" src="http://wako-image.net/100225_nagasawa-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
　学科長の永澤峻先生による「中世ギリシアの東西交流」は、永澤先生のフィールドワークにて撮影されたスライドや種々の画像・図説の提示を伴う学術性の高い報告でした。ご自身の興味深い現地体験談を交えたお話はイメージ文化学科ならではの内容であったと思います。</p>

<p><br />
<a href="http://wako-image.net/100225_yamamoto.jpg"><img alt="100225_yamamoto.jpg" src="http://wako-image.net/100225_yamamoto-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
　イメージ文化学科が長年、高知県物部で行ってきたフィールドワークを中心とした山本ひろ子先生の「土佐FWと祭りイベント狂想曲」は、改めてイメージ文化学科という学科が独自の特色ある活動をしてきたのだと改めて感じさせるものでした。ユーラシアを考える上で、高知という場所は有効であるというお話は刺激的で、示唆に富むものでした。</p>

<p><br />
<a href="http://wako-image.net/100225_tsuno.jpg"><img alt="100225_tsuno.jpg" src="http://wako-image.net/100225_tsuno-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
　ユーラシアを展望するためには、ユーラシア大陸各地に広がるテュルク系諸民族について感心を持つべきであるという坂井の報告「テュルク世界を歩く」に引き続き、第一部のトリは津野海太郎先生がお勤めになりました。最終講義は原稿を用意して失敗してしまったと反省される津野先生はアドリブで思いつくままお話になりました。イメージ文化学科で授業を始めたころのご苦労話は津野先生ならではのお話で、また当時のＡ棟8階の状況をめぐるお話に懐かしく思った人もいたことでしょう。</p>

<p><br />
　第二部「フォーラム」では、村山和之先生と佐川信子先生のお話やＯＢ・ＯＧ、現役学生などから、感想や懐かしい話、近況報告を聞かせていただきました。みなさん、イメージ文化学科のユニークさと多様性を実感したものと思います。</p>

<p>　第一会場であるJ-104からＡ棟4階の第二会議室に会場を移して行われた懇親会では、懐かしい思い出話をつまみに、また日本やアジア各地の文化・芸術を肴にお酒が進みました。宴はさらに８階の資料室・各研究室に舞台を変えて続きます。夜更け（夜明け？）までイメージ文化学科のラスト・イベントは延々と行われたのでした。このカオス自体がイメージ文化学科そのものであったのかもしれません。<br />
<a href="http://wako-image.net/100225_8F.jpg"><img alt="100225_8F.jpg" src="http://wako-image.net/100225_8F-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a></p>

<p><br />
（文責：坂井弘紀）<br />
</p>]]>

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<title>イメージ文化学科(2000-2009)ラストイベント「ユーラシアを展望する」</title>
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<modified>2010-01-07T14:53:51Z</modified>
<issued>2010-01-07T14:39:05Z</issued>
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<summary type="text/plain">10年にわたる学科と教員の活動を振り返り、さらなる新しい知の可能性を探る最後のイベントにぜひご参集ください。

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<dc:subject>Ｚ学科とは？</dc:subject>
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<![CDATA[<p><img alt="lastevent1.jpg" src="http://wako-image.net/img/lastevent1.jpg" width="250" height="350" />期日：2010年1月23日（土）　13:00～18:30<br />
会場：和光大学　Ｊ－１０４教室<br />
主催：和光大学表現学部イメージ文化学科</p>

<p>学際的な行動する知を目指して構想されたイメージ文化学科は、2000年の誕生から10年を迎えた今年2009年度で、発展的に解散します。講義バイキングやフィールドワークなど、現在の和光大学の特色というべきプログラムはイメージ文化が原点です。<br />
10年にわたる学科と教員の活動を振り返り、さらなる新しい知の可能性を探るイベントにぜひご参集ください。</p>

<p>開場13:00<br />
●開会のご挨拶　　イメージ文化学科の"神話"をめぐって──松村一男</p>

<p>第１部（13:30～16:50）　イメージ文化学科の10年を辿る（司会／山本ひろ子）<br />
●基調講演　　イメージ文化学科─つねにアジアを見つめて……前田耕作（本学名誉教授）</p>

<p>●フィールドから一教員は語る<br />
１）奈良からパキスタンへ……松枝到<br />
２）中世ギリシアの東西交流……永澤峻<br />
３）物部フィールドワークと祭りイベント狂騒曲……山本ひろ子<br />
４）テュルク世界を歩く……坂井弘紀<br />
５）本つくり・ものつくり……津野海太郎（本学名誉教授）</p>

<p>＜休憩＞</p>

<p>第２部（17:00～18:20）　私にとってのイメージ文化学科（司会／松枝到）<br />
個性あふれる非常勤講師や卒業生たちも交えたフリートーク。飛び入りも歓迎します。</p>

<p>●閉会のご挨拶<br />
10年の歴史を終えて……永澤峻</p>

<p><br />
<img alt="lastevent2.jpg" src="http://wako-image.net/img/lastevent2.jpg" width="250" height="350" />※会終了後のＡ棟資料室・各研究室での懇親会にもふるってご参加ください！</p>]]>

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<title>2008年度卒業証書授与式</title>
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<modified>2009-03-31T06:06:28Z</modified>
<issued>2009-03-31T05:38:13Z</issued>
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<summary type="text/plain">2009年3月19日（木）、和光大学表現学部イメージ文化学科の卒業証書授与式が行われました。</summary>
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<dc:subject>キャンパスライフ</dc:subject>
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<![CDATA[<p><a href="http://wako-image.net/img/090331_hakama.jpg"><img alt="090331_hakama.jpg" src="http://wako-image.net/img/090331_hakama-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a><br />
　2009年3月19日（木）、和光大学表現学部イメージ文化学科の卒業証書授与式が無事に行われました。</p>

<p><br />
　式では証書の授与に先立ち、永澤学科長からご挨拶をいただき、次いで松枝先生、松村先生、津野先生、山本先生からお言葉をいただきました。標準的には来年が最終年度となるイメージ文化学科を惜しんだり、称えたりする話題も多く、とくに今年でお辞めになられる津野先生からはイメージ文化学科を振り返ってのお話もあり、感慨深いものがありました。卒業生と一緒に「卒業」される津野先生には、芸術選奨の受賞のお祝いも兼ねた花束の贈呈もありました。</p>

<p>　会場にはスーツ姿や袴姿の卒業生が集まり、いつもとは違った、社会人の卵としての顔が少し頼もしそうに思えました。また、今年は例年と比べると、授与式への出席率が高かったようです。</p>

<p>　卒業生のみなさん、たまには大学に元気な姿を見せに来てくださいね。改めまして、卒業、おめでとうございました。（坂井弘紀)</p>

<p><br />
<a href="http://wako-image.net/img/090331_tsuno.jpg"><img alt="090331_tsuno.jpg" src="http://wako-image.net/img/090331_tsuno-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a></p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]>

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<title>２００８年度卒業論文・卒業制作合評会／【松村ゼミ＆坂井ゼミ】編</title>
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<modified>2009-03-04T14:39:45Z</modified>
<issued>2009-03-04T14:23:20Z</issued>
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<created>2009-03-04T14:23:20Z</created>
<summary type="text/plain">2009年2月10日（火曜）、和光大学Ｊ－１０４教室で、２００８年度のイメージ文化学科卒業論文・卒業制作合評会が行われました。今回は、松村ゼミと坂井ゼミからの報告です。</summary>
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<dc:subject>学生論文・作品</dc:subject>
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<![CDATA[<p><a href="http://wako-image.net/images/PIC_0082.jpg"><img alt="PIC_0082.jpg" src="http://wako-image.net/images/PIC_0082-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a>　2009年2月10日（火曜）、和光大学Ｊ－１０４教室で、２００８年度のイメージ文化学科卒業論文・卒業制作合評会が行われました。時期的な理由や、都合が悪かったり、体調不良であったりした学生も多く、大盛況とはいきませんでしたが、3年生も含めて多くの学生･教員の参加がありました。<br />
　今回は、合評会の発表について、各ゼミ別にご報告したいと思います。　（坂井）<br />
　<br />
　<br />
　</p>

<p><strong>【松村ゼミ】</strong></p>

<p>・加藤尭くんの<strong>「死神のビジュアルルーツ」</strong>は本人が研修のため不在なので、展示のみとなった。マンガにもしばしば登場する死神のイメージはどのように始まったのかを、骸骨、鎌、黒衣の三点を中心に探ったもの。死の舞踏、タロットカード、そしてスウェーデンの映画監督ベルイマンの映画「第七の封印」といったさまざまな資料が紹介されていて、死神イメージがさまざまな歴史的要因から形成されてきたことが納得的に示されている。<br />
<a href="http://wako-image.net/images/PIC_0081.jpg"><img alt="PIC_0081.jpg" src="http://wako-image.net/images/PIC_0081-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a> <br />
・千葉恵さんの<strong>「岩手県・宮城県の地蔵菩薩」</strong>は、岩手・宮城両県の県境に近い宮城県気仙沼市出身の千葉さんが、かつて北進一氏の自主ゼミに参加して興味を覚えた仏像のうち、個人的にもっとも不思議さを感じた地蔵菩薩に絞って、故郷近くの両県を主に対象として、その分布や特色を考察したもの。担当教官のこの問題に対しての無知や無理解にもへこたれることなく、帰省のたびに両県のお寺や図書館を廻って資料を集めた労作。合評会では仏像の分布を手がかりに地蔵信仰一般の問題にも視点を広げてほしいという要望が山本ひろ子先生から出されたので、今後のさらなる精進を期待したい。<br />
 <br />
・山近匠人くんの<strong>「日本刀の特異性と独自的発展について」</strong>は、日本刀について起源、形状の推移、作製方法、精神性、海外における評価といったあらゆる問題をまとめたミニ百科。しかし日本刀のみならず刀剣一般に興味をもつ山近くんは、海外の刀剣との比較にも多くの頁を割いている。彼が苦労して集めた数多く図版を見ていると、人類は実用性以上の何かを刀剣に求めてきたと強く感じさせられる。語り始めると止まらず、発表時間超過で途中に指導を受けたほどの熱の籠もった発表だった。<br />
<a href="http://wako-image.net/images/PIC_0078.jpg"><img alt="PIC_0078.jpg" src="http://wako-image.net/images/PIC_0078-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a>　<br />
　<br />
　<br />
<strong>【坂井ゼミ】</strong></p>

<p><strong>・卒業制作『空と海、精霊と大地』～世界諸文化におけるイメージの苑～　</strong>浅賀舞子<br />
　作品は製作者が作り出した世界（小説化を前提としている）を一枚の絵画として表現したものである。9人の作品の登場人物が描かれるが、もっとも目を引くのは右半分に全身を描いた主人公「天狼」である。その向かって左側には8人の登場人物の胸像が描かれている。この作品の背景には、オアシスの国や騎馬遊牧民の国、砂漠の国などがあり、色や衣装、動植物のモチーフには多くの実在するイメージを豊富に取り入れている。小説の内容を想像させる奥深い作品に仕上がった。Ｂ１サイズ、ワトソン紙中目イラストボード。アクリルガッシュ。ポスターカラー。<br />
　当日の発表では、展覧会に展示されているため、実物はなかったが、画像をスクリーンに映し出してプレゼンテーションした。</p>

<p><strong><br />
<a href="http://wako-image.net/images/PIC_0076.jpg"><img alt="PIC_0076.jpg" src="http://wako-image.net/images/PIC_0076-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a>・卒業制作「世界図Ⅱ　和光大学で得たイメージ世界」</strong>新井さゆき<br />
　「世界図Ⅱ」と題されたこの作品は、製作者がかつて描いた「世界図Ⅰ」の続編に位置づけられる。大学で学んだ図像や事物をイメージ化した多数のモチーフをまとめあげたものである。正方形の作品は、それぞれの四方を東西南北と設定し、方角にまつわるイメージを表わす。中央には東西の神話をモチーフにした渦巻が、中央にはゴシックの薔薇窓や遊牧民の天幕の天井部シャンラクが配置されている。机上に展示されるこの作品は、遠方からも接近しても楽しめる作品となっている。Ａ１サイズのイラストボード（正方形）。鉛筆・水彩・アクリル絵の具。<br />
　発表では、本来机上に展示するものをイーゼルに掲げて、プレゼンテーションした。</p>

<p><strong>・卒業論文「ソ連期における中央アジア独立」</strong>森啓二<br />
　本論文は、1991年に独立した中央アジア諸国の独立に至るまでの経緯と背景を、帝政ロシア時代からソビエト時代を通じて、探ったものである。筆者は、とくにソ連時代の政策に焦点を当て、それにより構成された諸共和国と醸成された民族意識が大きな意味を持っていたと指摘する。具体的にはコレニザーツィヤと「民族・共和国境界画定」に注目し、その過程を追った。また「停滞期」の汚職事件やペレストロイカによる改革の影響についても論じた。<br />
　発表当日は、体調不良のため、急遽発表ができなくなってしまったため、論文のみの提示となった点が、残念なところである。<br />
</p>]]>

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<title>２００８年度卒業論文・卒業制作合評会／【永澤ゼミ】編</title>
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<modified>2009-03-04T14:30:58Z</modified>
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<created>2009-03-04T13:45:46Z</created>
<summary type="text/plain">2009年2月10日（火曜）、和光大学Ｊ－１０４教室で、２００８年度のイメージ文化学科卒業論文・卒業制作合評会が行われました。今回は、永澤ゼミからの報告です。</summary>
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<dc:subject>学生論文・作品</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　永澤ゼミの発表者は3名でした（そのうち2名は就職内定先の要請で会社に行かねばならない用件が出たため出席できず、ゼミ教員永澤が当人自身のゼミ発表の際のレジュメを代読し、オーヴァー・ヘッドプロジェクターで関連図版を提示しました。また、卒論自体を会場に置いて見て貰った者は3名でした。</p>

<p><strong>・　発表学生名と卒論・卒制の題名</strong><br />
０５ｚ００９　小倉奨一朗　卒制　写真集『心の景色』<br />
０５ｚ０２４　後藤瑞穂　　卒論「神話と象徴～西洋絵画の花」<br />
０５ｚ０２５　斉藤芽依　　卒論「装飾資料集―自然物の装飾について―」</p>

<p>この中から、「装飾」全般を考察の出発点に据えながら、特に世紀末ウイーンの画家グスタフ・クリムト（1862～1918）の絵の装飾の問題について、興味深い分析をした斉藤芽依さんの論文のレジュメを掲載しました。</p>

<p>斉藤さんの卒論は、クリムトの絵を装飾性という視点から、じっくりと良く観察した素晴らしい出来ばえのものでした。そのなかでも、クリムトの二点の人物画の衣装の装飾の問題、特に彼が日本の浮世絵の文様から影響を受けていたことを先行研究（特に越　宏一氏、馬渕明子氏の実証的研究）に即して読み込み紹介したうえで、従来見過ごされていた衣装の装飾文様の象徴性の解釈にまで踏み込んでいる点は、特に高く評価できるところです。</p>

<p>彼女の説得力のある卒論における議論の展開の仕方は、ここに挙げたレジュメをお読み頂いても、十分に納得して貰えると思います。<br />
　　　　　　　　　　　　<br />
２００９．２．１８．　　イメージ文化学科永澤ゼミ教員　永澤　峻</p>

<p> <br />
 <br />
 <br />
<strong><big>「装飾資料集―自然物の装飾について」</big></strong>　０５ｚ０２５　斉藤芽依<br />
<strong><br />
Ｉ．はじめに</strong></p>

<p>　私が今回、卒論にと選んだテーマは、「装飾」です。「装飾」を選んだ理由としては、大学3年生の時に永澤先生のゼミで、装飾について発表をしたことにあります。その時は“コーランの1ページ”の装飾について、平面を意識して強調したイスラームの装飾について見て行きました。この時に、装飾というものは、建築物や工芸品を飾るためだけの付属的なものではなく、「装飾」自体が主要なものとして描かれるものもあると知り、とても興味を持ちました。そして、そんな主要な「装飾」は、もともと好きだった日本の文様にも通じるところがあるのではと思い、日本の文様に絞った装飾をテーマに選びました。特に、装飾が特徴のウイーンの画家、グスタフ・クリムトの装飾機能について、影響を受けたとされる「浮世絵」と関連付けて、見て行きました。今回は、その中でも、特にクリムトの装飾の描き方について発表したいと思います。<br />
　<br />
　その前に、まずクリムトと浮世絵の関係について簡単に説明します。</p>

<p>　クリムトは日本の文様に非常に興味を持っていたため、日本に関する書物を読み、能面や日本の着物などの日本美術のコレクションを多数持っていました。そのため、クリムトの作品には日本の文様と見られる装飾が多く描かれています。そして、クリムトの描く人物画は、ほとんどが女性をモチーフとしており、女性と衣装のデザイン、または衣装の文様との密接な関係は、浮世絵と非常に近いものがあります。浮世絵に描かれた、粋であでやかな女性たちは、その顔立ちと肉体の様式化された美しさ、洗練された衣装によって、クリムトを魅了したのでしょう。</p>

<p>　では、そのことを踏まえて、クリムトの装飾の描き方について見て行きます。</p>

<p><br />
<strong>２．クリムトの装飾の描き方について</strong></p>

<p>①服装の描き方<br />
<img alt="z093a.jpg" src="http://wako-image.net/images/z093a.jpg" width="600" height="400" /></p>

<p>　まず、服装の描き方から見て行きます。クリムトの作風の特徴として、人物以外は、基本的に装飾文様で埋め尽くされています。<br />
例えば（図版①：左図・≪接吻≫、右図・≪成就≫）左図の≪接吻≫や右図の≪成就≫など、男女が描かれている場合、文様の描き分けによってその境目がなんとなくではありますが、見ることが出来ます。しかし、１人の人物の中にも様々な文様が描かれ、どのような形体をしているのか判別がつきません。</p>

<p></p>

<p>　そこで浮世絵と比較して行きます。</p>

<p>　浮世絵に描かれている人物がまとっている服装は、着物です。当時の西洋の人々からしてみれば、どのような構図になっているか、どのように着るかなど、不思議な服装にみえたと思います。しかし、文様のみを装飾として利用したクリムトにとって、それはさほど問題ではなかったはずです。</p>

<p>　浮世絵などでよく描かれる美人画の女性たちは、何枚も着物を羽織って花魁(おいらん)のように着飾っています。そのため、中着・帯・打掛・衿などの色・文様がそれぞれ違います。着物の構造を知らない人がそれを見たとき、一見すると一枚の服の上に様々な文様が入り込んでいるように見えたと思います。</p>

<p><img alt="z093b.jpg" src="http://wako-image.net/images/z093b.jpg" width="300" height="400" /></p>

<p>　そのことを踏まえてあらためてクリムトの絵を見てみると（図版①）、右図の≪成就≫という絵の男性の服には、全体的に丸型が、左腕部分と右下に四角、右肩部分に三角など、様々な文様が入り込んでいるのが分かります。その文様も統一性はなく、服の構造はまったく分かりません。しかし、様々な文様と色が入り込んだ浮世絵の文様を見て影響を受けたクリムトは、彼自身の絵画でも一枚の服の中に様々な文様を入り込ませるという表現を取り入れたのではないかと考えられます。</p>

<p><br />
②文様の意味</p>

<p>　次に文様の意味について見て行きます。<br />
そもそも、日本の文様の特色は、自然の中に見られる様々なモチーフをデザイン化したところにあります。そしてそれらもモチーフは、ある情景のもとに置かれていることが多いのです。</p>

<p>　例えば（図版③）【竜田文】）、水の流れをデザイン化した文様に、紅葉が組み合わされているこの文様の場合、「川面に紅葉が流れてゆく情景」を暗示しています。</p>

<p><img alt="z093c.jpg" src="http://wako-image.net/images/z093c.jpg" width="300" height="400" /></p>

<p>　このように、日本の文様は自然の情景を暗示しているものとして機能しています。そしてこのような場合、文様の組み合わせを変えたり、切り離したりして用いるようなことはめったにありません。しかし、これがその意味を理解しない別の文化の中で利用された場合、文様はそのもっていた意味を失います。そして、そのことはクリムトも例外ではないと思っていました。</p>

<p>　しかし、クリムトの絵画の中に見られる日本的な文様を調べて行くうちに、クリムトが描かんとしていた主題と、彼が用いている文様の意味が繋がっていることに気がつきました。</p>

<p>　そのことが良く分かるのが、ストレックレー邸食堂装飾として描かれた≪期待≫と≪成就≫です（図版④：左図・≪期待≫、右図・≪成就≫）。</p>

<p><img alt="z093d.jpg" src="http://wako-image.net/z093d.jpg" width="600" height="400" /></p>

<p>　食堂の左側の壁面には、エジプト風の若い女性が≪期待≫（図版④）として描かれています。この女性は、まるで何かに気付いたように後ろを振り向き、何かを見つめています。これと対面する形で、右側の壁面には、抱き合う男女が≪成就≫（図版④）として描かれています。深く抱き合う女性の顔は、まさに満ち足りた表情をしています。</p>

<p>　この二つの絵は対面して配されていますが、画集などで並べて載っているように、一列に並べるとすると、≪期待≫の女性の見つめる先に≪成就≫の男女がいるのではないでしょうか。</p>

<p>　そうすると、≪期待≫の女性は憧憬の眼差しで、今まさに充足している≪成就≫の男女を見つめていることになります。</p>

<p>　このことを踏まえて文様をみてみます。</p>

<p>　この女性がまとっている服装の文様は、大部分が三角形の文様です、これは、日本の文様では、「鱗文」（図版⑤）と呼ばれ、能装束としても取り上げられている文様です。</p>

<p><img alt="z093e.jpg" src="http://wako-image.net/images/z093e.jpg" width="600" height="400" /></p>

<p>　そして、能装束として用いられる場合、嫉妬や恨みを持った鬼女の衣装専用で、金銀の箔を使って表現した鱗箔が、蛇体や女の執念を象徴する図柄として有名でした。</p>

<p>　また、これは日本の文様と直接関連しませんが、クリムトの画中で多く描かれている丸模様は女性を、そしてその反対の四角は男性を表わしているのだと思われます。これは丸が女性の優しさや命を宿す子宮を、四角は男の強さや男性器からきているのだと考えられます。<br />
　<br />
　しかし、このことを踏まえて≪成就≫の絵を見てみると（図版④：右図）、男性が女性の象徴である文様を身につけていることに気付きます。だとすれば、タイトルからも想像が出来るように、この男女の恋は成就していて、その気持ちが充足していることを、男女の文様を同居させることで表わしているのではないでしょうか。その満たされた充足感は、女性の服装の咲き乱れた花からも想像することが出来ます。</p>

<p>　二つの絵の文様の意味が分かったところで、あらためて≪期待≫の絵の女性を見てみると（図版④：左図）結ばれた男女を、羨望と女としての嫉妬心の目で見つめていることが分かると思います。</p>

<p>　これらのことから、クリムトは僅かながらとはいえ、文様の意味を理解した上で使用していたのではないかというのが、私の結論です。</p>

<p>■■</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>「グロテスクの系譜」の美術家としてのレオナルド･ダ･ヴィンチ</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://wako-image.net/2008/08/post_58.html" />
<modified>2008-08-02T15:38:15Z</modified>
<issued>2008-08-02T13:53:37Z</issued>
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<created>2008-08-02T13:53:37Z</created>
<summary type="text/plain">ついに登場。永澤先生によるせんせい日記「「グロテスクの系譜」の美術家としてのレオナルド･ダ･ヴィンチ」です。</summary>
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</author>
<dc:subject>せんせい日記</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://wako-image.net/">
<![CDATA[</span><table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
      <tr><td><div align="center">
        <p><a href="http://wako-image.net/img/nb_01.jpg"><img alt="nb_01.jpg" src="http://wako-image.net/img/nb_01.jpg" width="250" height="369" /></a>
          <br />
          レオナルド・ダ･ヴィンチ≪モナ･リザ≫、1503－05年、パリ、ルーヴル美術館蔵<br />
          <br />
        </p>
        </div>
  </td>
  </tr>
      <tr>
        <td>
  <div align="center"><img alt="nn_02.jpg" src="http://wako-image.net/images/nn_02.jpg" width="279" height="324" />
    <br />
    レオナルド・ダ･ヴィンチ、二人の老人（いわゆるグロテスク・ヘッド）の素描、
    １４９０年頃、イギリス、ウインザー宮、ロイヤル･ライブラリー、素描番号１２４９０</div></td></tr>
    </table>
      <p>　レオナルド･ダ･ヴィンチ（1452－1519年）の描いた奇怪な人物像（一般的に「グロテスク・ヘッドと呼ばれる）が気になってきたのは、今年度の授業準備をしていたときだった。「表象の文化史」の導入部を微笑の表情で名高い≪モナ･リザ≫の絵（1503－05年頃）で始める用意をする一方で、「微笑」の影に隠れた「奇怪なもの」に対するレオナルドの執着を「グロテスク･ヘッド」と関連させて話そうとも考えていた（後で話題とする「グロテスク文様」の問題は、現在ではその重要性が装飾の分野で明らかとなってきており、「装飾芸術を見る／読む　１」の中でやや詳しく取り上げる予定にしていた）。</p>
      <p>　こうした準備の段階で、レオナルドにおける「微笑」と「奇怪なもの」との係わりについて、思いがけない示唆を与えてくれたのが、フランスの美術史家アンドレ・シャステルの大著『ロレンツォ豪華王の時代の芸術とユマニズム』（１９８２年、第３版に拠る）中の「微笑と怒り」と題するごく短い項目の指摘であった。すでに授業で話したことと重なるが、シャステルの指摘を手がかりに、「グロテスクの系譜」の美術家としてのレオナルドをめぐり、シュルレアリスムの登場で突然注目されるに至った中世末期のオランダの幻想的な画家ボスとの対応関係に気づくなど、紆余曲折しながらリサーチした経緯を以下に書き記しておきたい。</p>
      <table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
        <tr><td><div align="center"><img alt="nb_03.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_03.jpg" width="292" height="301" /><br />
          
          ヴェロッキオ≪ダヴィデ像≫（頭部拡大図）、１４７８年、
          フィレンツェ、バルジェロ美術館蔵</div></td>
    </tr>
        <tr>
          <td>
            
  <div align="center">
    <p><img alt="nb_04.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_04.jpg" width="256" height="371" />
        <br />
      ヴェロッキオ≪コレオーニ騎馬像≫（拡大図）、１４８８年、
      ヴェネツィア、サンティ･ジョバンニ・エ・パオロ広場</p>
    <p>&nbsp;</p>
  </div></td></tr>
      </table>　上記の短い項目の中で、シャステルはまず、レオナルドの師匠であったヴェロッキオの彫刻のレパートリーの中に「美しい顔立ちの青年」と「憤怒をあらわに示す顔立ちの武将」とを対比的に示す表現が存在していたと指摘する。事実、ヴェロッキオの現存する彫像群中には、この対比的な表情を示す名高い作例として、≪ダヴィデ像≫（1478年）と≪コレオーニ騎馬像≫（1488年）とが残されている。また、晩年のヴェロッキオの彫刻群の中では、猛々しい感情の描出は影を潜め、冷ややかで謎めいた表情が目立つようになり、レオナルドは、師のこの種の表現を精妙な微笑の絵画描写へと洗練させていったと考えられる。

      <p>　そのため、完璧な絵画技法とともに、解剖学・遠近法を含む膨大な科学的知識に基づき至高の美を求めた天才と見なされてきた「レオナルド神話」の影に隠れて、もう一方の壮年や老人のグロテスクな人物像の系譜は、長い間忘れ去られた状態にあった。</p>
      <table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
        <tr><td><div align="center"><a href="http://wako-image.net/images/nb_05.jpg"><img alt="nb_05.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_05.jpg" width="250" height="352" /></a>
          
              <br />
              レオナルド、老人と美青年、フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵、素描番号４２３Ｆ</div></td></tr>
      </table>
      <p>　ところが、シャステルによれば、この対（つい）をなす人物類型こそ、一生涯に渡りレオナルドの心から離れなかった執着を端的に示すものであり、このことを明らかにしたのが、イギリスの美術史家ケネス･クラークだったという。ケネス･クラークは、レオナルドの全体像を探索するための大鉱脈の一つ、イギリスのウインザー宮に所蔵される膨大な素描の綿密なカタログを長い年月をかけて完成させていた。そして、彼は、ウインザー宮所蔵の素描群中にも見出される「グロテスク･ヘッド」の意味するところを、レオナルドに関するモノグラフィーの中で、次のように述べている。このエセーの出発点の要点をなす事柄なので、やや長くなるが、肝心な箇所を引用しておこう。</p>
      <p>　「レオナルドが（これらを）描いた動機には、好奇心のほかに、もっと深い動機がある。それはゴシックの建築家が聖堂の屋根に、異様な怪物の形をした吐水口（ガルグイール）を取付けたのと同じ動機である。ゴシック建築のこうした怪物は聖者を補うものであり、レオナルドのカリカチュアは彼の飽くことなき理想美の探究を補うものであった。この怪物は、人間の心の中から神聖なものが消え去った時、心の中に残る一切の激情、暴力、カリバン（シェークスピアの『テンペスト』に出てくる醜悪で奇形の奴隷）的な唸（うな）りと呻（うめ）きの表現だった。しかしレオナルドは、中世のゴシック芸術家ほどは、人間の心の中の神聖なものに関心をもっていなかったから、彼のカリカチュアは、激しいエネルギーを表現する場合には、知らず知らずのうちに雄々しい人間の姿に変わる。その典型が、ひどい渋面をし、あごが鼻にくっついた男で、こういう男はカリカチュアとして描かれる場合もあり、その癖（くせ）のある容貌は旺盛な精力と確固たる精神を象徴しているように思われる。そしてこの男は、レオナルドが同じようにすらすらと描きだしたもう一方の人物、アンドロギュノス的、すなわち男女両性具有的な若者と一対をなしているのである。事実、この二人はレオナルドの無意識が産んだ二つの象形文字であり、注意力が散漫になった時、彼の手が勝手に創り出した二つの像であって、たとえどんなに下手に描かれていても、見逃すことができない重要性をもっている。」（丸山修吉／大河内賢治訳『レオナルド・ダ･ヴィンチ　第2版』、法政大学出版局、１９８１年第２版、１０２ページ）</p>
      <table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
        <tr><td><div align="center">
          <p><img alt="nb_06.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_06.jpg" width="250" height="310" />
            <br />
            レオナルド、5つの頭部像、１４９４年頃、ウインザー宮、ロイヤル・
            ライブラリー蔵、素描番号１２４９５ｒ</p>
          <p>&nbsp;</p>
        </div>
  </td>
    </tr>
        <tr>
          
          <td>
  <div align="center"><a href="http://wako-image.net/images/nb_07.jpg"><img alt="nb_07.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_07.jpg" width="250" height="219" /></a>
    <br />
    ヒエロニムス・ボス≪十字架を担うキリスト≫、１５１０‐１６年、ゲント市立美術館蔵</div></td></tr>
      </table>
      <p>　そして、この「グロテスク･ヘッド」に係わる問題は、レオナルド個人に対する天才賛美を非神話化するにとどまらない、より大きな広がりと意味を持っている。すなわち、私たちの視線を１５００年前後の北ヨーロッパの絵画の領域に向けてみるならば、レオナルドのグロテスク・ヘッドの幾つかの素描が、中世末期のオランダの画家ヒエロニムス・ボスの作品、特に≪十字架を担うキリスト≫（1510－16年頃）中の奇怪で生々しい迫害者たちの容貌と紛れもなく呼応していることに気がつくのである。</p>
      <p>　ボスはオランダ南部の都市セルトーヘン・ボスで生涯を過ごした画家だが、彼はレオナルドのように知的な好奇心に駆られて手記を埋め尽くすタイプの芸術家ではなかったらしく、彼の実像や活動についての同時代人の証言も殆ど伝わっていない。シュルリアリスムの展開に伴い、にわかに注目を浴びた当初は、彼が異端の宗教団体（アダム派）に属していたのではないかと推測されたりもしたが、今日までの歴史資料から浮かび上がってくるのは、異端の画家というイメージとは程遠い、平凡な生活を送っていた彼の姿だけである。</p>
      <p>　ところで、ボスの亡年が文書資料を通して１５１６年と明らかなのに反して、彼の生年は不明である。だが、１４９０年頃の記録の中で、彼が独立した画家と記されていることから、その生年は１４５０年代の前半と推定できる。とすると、ボスの生没年はほぼレオナルドと重なり、奇怪な宗教画を描いたことで知られるボスは、≪モナ･リザ≫の画家と同時代人であり、二人は「再生」の期待と「最後の審判」の不安が大きく交錯した１５００年前後の西欧における未曾有の転換期を生きていたことになる。</p>
      <table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
        <tr><td><div align="center">
          <p><a href="http://wako-image.net/images/nb_08.jpg"><img alt="nb_08.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_08.jpg" width="250" height="212" /></a><br />
            オランダの商業都市スー・ヘルトヘン・ボス、シント･ヤンス聖堂の飛梁を跨ぐかたちで彫り込まれた無数の異形の怪物たち、15世紀</p>
          <p>&nbsp;</p>
        </div>
  
</td>
    </tr>
        <tr>
          <td>
  <div align="center">
    <p><a href="http://wako-image.net/images/nb_09.jpg"><img alt="nb_09.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_09.jpg" width="250" height="394" /></a>
        <br />
      ルカ・シニョレルリ、≪グロテスク文様を驚いて見上げる古代ギリシアの哲学者エンペドクレス≫、
      １４９９‐1504年、オルヴィエート大聖堂、
      サン･ブリチオ礼拝堂の基壇の壁画部分</p>
    <p>&nbsp;</p>
  </div>  </td>
    </tr>
        <tr>
          <td>
            
  <div align="center"><img alt="nb_10.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_10.jpg" width="300" height="202" />
    <br />
    ヒエロニムス・ボス≪悦楽の園≫の中央パネル上部（「グロテスク文様」のレパートリーからの影響を示す部分）、
    １５００年頃、マドリード、プラド美術館蔵</div></td></tr>
      </table>
      <p>　ボスに係わって、私たちも彼が全生涯を過ごした南オランダの中世からの商業都市セルトーヘン・ボス（この画家の現在知られる名前はこの町に由来する）のシント・ヤンス大聖堂（15世紀）の傍らに立ってみることにしよう。すると、街路からもその一部が見える飛梁（中央の一段高い身廊を文字通り支える石造の梁）には、ほぼ１，2メートル間隔で、ケネス・クラークの言うさまざまな異形の怪物たちが彫り込まれているのに気がつく。ボスは、この町の職人たちを通じて、これらを良く知っていただろう。また今日では、中世ヨーロッパの大聖堂の外壁の彫刻から手写本の挿絵の端部に至るまで、これらのイメージは、神聖な中心部を聖別するための周縁部図像を形成していたことが分かっている。したがって、ボスは「グロテスク・ヘッド」に加えて、イタリア･ルネサンスの時代に再生された異教古代に由来する「グロテスク文様」、すなわち多量の版画を通じて、またたく間に全ヨーロッパに伝播した、「さまざまな幻想が凝縮し、・・・雑種（ハイブリット）な生き物が傍若無人に増殖する、生気に満ちた」文様（シャステル）までも同化しえたのである。<br />
        こうした点から考えると、ボスは、イタリア・ルネサンス世界から遠く離れた北欧の小都市で暮らしながらも、レオナルドの「グロテスク･ヘッド」とともに「グロテスク文様」までも実に素早く吸収して彼独自なイメージに変貌させており、おそらく彼が変貌させた画像の一部は再びイタリアへと還流していったと思われる。</p>
      <p>　１５００年に前後する時代に、イタリア・ルネサンスと北ヨーロッパと間で頻繁な往復運動が生じた要因は、「僧侶も、市民も、本を読むことを学んだ農民も、君主や高位の聖職者も、歴史の大きな区分、すなわち世界の「革新」と最後の大異変が迫ってきていることを明らかにする壮大な幻想的表現を必要とした」点（シャステル）に求められると思われ、まさにこの点にこそ、この時代の重要な「象徴形式」が存在していたのである。この時期のさまざまの分野で傑出していた人物たち、たとえば、イタリアのマキァヴェッリやユリウス二世、フィチーノやレオナルドも、フランスのラブレーやドイツのデューラーも、さらにはオランダのボスもまた、この驚くべき対照性を生み出す渦巻きのただなかに否応なく巻き込まれていた。</p>
      <p>　だが、このささやかなエセーの冒頭から性急な結論を引き出そうとする愚は控えるべきだろう。とりあえず、次回に再びレオナルドの初期素描（「奇想の鎧兜」を身にまとう武将）を切り口に放しを進めてゆく際に重要な意味を持つことになる２点の作例を挙げ、今回の導入部の話をひとまず締め括ることにしたい。</p>
      <table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0"><tr><td><div align="center">
        <p><a href="http://wako-image.net/images/nb_11.jpg">
                <img alt="nb_11.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_11.jpg" width="250" height="332" /></a>
          
          <br />
          伝アントニオ・ポライウオロ（1429－1498）作≪トルコの大官≫、（彫金版画、1460年頃）、ロンドン、ブリティッシュ・ギャラリー蔵<br />
        </p>
      </div>
  </td>
    </tr>
        <tr>
          <td>
  <div align="center"><a href="http://wako-image.net/images/nb_12.jpg"><img alt="nb_12.jpg" src="http://wako-image.net/images/nb_12.jpg" width="250" height="330" /></a><br />
    レオナルド･ダ･ヴィンチ、≪武将の肖像≫、１４８０年頃、素描、ロンドン、ブリティッシュ・ミュウゼアム所蔵  </div></td></tr>
      </table><span>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>松村一男先生：イヌのつれづれ２</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://wako-image.net/2008/05/post_57.html" />
<modified>2008-06-08T12:53:39Z</modified>
<issued>2008-05-31T14:02:07Z</issued>
<id>tag:wako-image.net,2008://1.239</id>
<created>2008-05-31T14:02:07Z</created>
<summary type="text/plain">お待たせしました。松村先生によるせんせい日記第２弾、「イヌのつれづれ２」です。</summary>
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</author>
<dc:subject>せんせい日記</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://wako-image.net/">
<![CDATA[<p>　前回に引き続きイヌの話です。以前まだいまほど大学の仕事が忙しくなかったころ（まるで昔話のはじまりみたいだが・・・）、松枝先生とイメ文を中心とした１０数名の学生たちと一緒にロンドンとパリを卒業式の前に２週間にわたってフィールドワークをしました。今は海外でのフィールドワークでは事故への警戒がとても強くなって、前もって相当な準備が求められるのですが、学生たちが計画したものだったけど、幸い事故もなく、かなり有意義なフィールドワークと楽しい思い出を作ることができました。</p>

<p>　その時に出会ったイヌが写真のものです。<img alt="080608.jpg" src="http://wako-image.net/images/080608.jpg" width="300" height="225" />場所はパリのマレ地区にあるポンピドゥー・センターの近くです。ピカソ美術館の帰り道でした。人間より大きいくらいのイヌでただただビックリ。ちなみに一緒に写っているは学生さんのひとりです。建物や風景と違い、イヌはなかなかいいタイミングで写真が取れないので、これでも精一杯でした。</p>

<p>　その後また昨年の夏にパリを訪れる機会があり、イヌにも出会って写真を撮りました。次回はそちらのイヌを紹介します。</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>松村一男先生：イヌのつれづれ</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://wako-image.net/2008/05/post_55.html" />
<modified>2008-05-09T08:50:16Z</modified>
<issued>2008-05-09T08:42:59Z</issued>
<id>tag:wako-image.net,2008://1.238</id>
<created>2008-05-09T08:42:59Z</created>
<summary type="text/plain">08年度せんせい日記第一弾は、松村先生の「イヌのつれづれ」。</summary>
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</author>
<dc:subject>せんせい日記</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://wako-image.net/">
<![CDATA[<p>　久しぶりの先生日記への登場です。去年、今年と授業のコマ数の配分を間違えてしまい、去年は普通より少なく、今年は普通より多くなってしまい、苦しんでいます。おまけに今年は「日英比較文化論」という、一見畑違いの授業もしているので、先生日記にエネルギーを注ぐ余裕がなくて、ずっとご無沙汰していたのですが、たまには書いてよというお誘い（ご命令？）をいただいたので、こうして書いている次第です。以上、言い訳でした。</p>

<p>　とくにこれといった趣味もなく、定年後は濡れ落ち葉になること必定のボクなので、何を書こうか迷いましたが、今回はイヌのことにしました。安直かもしれないけど赦してね。</p>

<p>ウチにもいるんです、イヌが。オスで年齢５歳。家族が飼っています。ボクも子供のころにイヌを飼っていました。しかし、面倒を見ていたのははじめのうちだけで、途中からは飽きてしまいました。それ以後イヌに対してはずっと罪悪感を抱いてきました。だからボクは自分ではイヌを飼いません。責任がもてない。しかし、家族が飼っているということはけっきょく一緒にいるわけで、ときどきは散歩をさせています。写真をご覧ください。ボクとはぜんぜん違うタイプです。<a href="http://wako-image.net/images/080509.jpg"><img alt="080509.jpg" src="http://wako-image.net/images/080509-thumb.jpg" width="350" height="263" /></a></p>

<p>　ということで第一回目は自分のところのイヌの写真です。次回からは旅行先で撮ったイヌの写真を紹介していきくつもりです。あまり期待しないでお待ちください。</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>2007年度卒論・卒制紹介⑤「古典の紫」</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://wako-image.net/2008/04/2007_5.html" />
<modified>2008-12-31T06:58:16Z</modified>
<issued>2008-04-30T06:48:04Z</issued>
<id>tag:wako-image.net,2008://1.243</id>
<created>2008-04-30T06:48:04Z</created>
<summary type="text/plain">
2007年度の卒論・卒制紹介第５回は、馬場希さん（永澤ゼミナール）の卒業制作「古典の紫」です。</summary>
<author>
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</author>
<dc:subject>学生論文・作品</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://wako-image.net/">
<![CDATA[<p>馬場希さんの卒業制作は「古典の紫」。もともと植物が好きだったという馬場さん。庭文化に興味を持ち京都御所の坪庭を知ったことから、源氏物語の世界に触れたことが、このテーマを選ぶきっかけとなった。<a href="http://wako-image.net/img/nagasawa.jpg"><img alt="nagasawa.jpg" src="http://wako-image.net/img/nagasawa-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a></p>

<p>源氏物語には多くの植物が登場する。それらを全て調べてみると、重要人物はみな花や色彩として紫色を持っていることに気がついた。花がどういうものかはわかったが、衣服についてはどういう色なのかがわからない。「藤のかさね」とはどういうものなのか、疑問がわいた。</p>

<p>「『藤がさね』だからって、藤を使って染めているわけじゃないという。じゃあ、何で染めたんだろう、と。そしたらそれは「ムラサキソウ」という植物だよ、というのを知って、では実際に染めて、当時の色ってこんなのだったのかなと見ていった」</p>

<p>当時の「紫」を求めて、馬場さんの染色が始まった。椿を採取し、灰を作って、染色を繰り返す。染色は難しかったが、それが面白くもあった。</p>

<p>「ムラサキソウって不思議で、温度が低いと薄い紫になるんですよ。でも高ければ濃くなるのかって言ったらそういうわけじゃなくて、今度は高くなると灰色になっちゃうんです。」</p>

<p>話しながら見せてくれたのは、高温で染めたという布である。ねずみ色のような色をしている。これを「メッシ」――「滅紫」というのだと教えてくれた。</p>

<p>繰り返し染めた何枚もの「紫」。その過程で、温度と染色に必要なアルミニウムの関係が濃度と明度を決めているのかもしれない、そう気がついたときは「ちょっとときめいた」。</p>

<p>しかし課題も残っている。「紫の起源」を探って中国までたどり着いたが、その先がわからない。しかし「紫」という字に含まれる「糸」の意味とは何なのか。今後どうやって調べたものか、検討中だという。<br />
最後に下級生へのアドバイスをきいてみた。</p>

<p>「やっぱり問題意識を持つこと。たとえば、３年生の夏にはもう「こういうことやるんだ」と決めておいて、夏休みに下調べをすることかなと思いました。」</p>

<p>そんな馬場さんはおよそ３年越しの取り組みだった。紫色の追跡は、和紙に美しく綴じられている。</p>]]>

</content>
</entry>
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<title>2007年度卒論・卒制紹介④「コジモ一世時代の第一書記官について：絶対君主をめざしたコジモのブレイン的存在とは」</title>
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<modified>2008-12-31T06:59:24Z</modified>
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2007年度の卒論・卒制紹介第４回は、橋本菜々さん（松村ゼミナール）の卒論「『コジモ一世時代の第一書記官について：絶対君主をめざしたコジモのブレイン的存在とは」です。</summary>
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<dc:subject>学生論文・作品</dc:subject>
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<![CDATA[<p>橋本菜々さんの卒業論文は「コジモ一世時代の第一書記官について：絶対君主をめざしたコジモのブレイン的存在とは」。時は１６世紀、フィレンツェ公国の２代目君主コジモ一世の時代に登場した３人の第一書記を個別に人物視点からあたった。<a href="http://wako-image.net/img/matumura.jpg"><img alt="matumura.jpg" src="http://wako-image.net/img/matumura-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a></p>

<p><br />
第一書記とは、今の日本で言う首相のような存在であるという。いわば、君主の右腕である。もともと「軍師や参謀といったブレイン的存在が好きだった」という橋本さん。大学２年のときに訪れたイタリア・フィレンツェでコジモ一世に惚れ込み、「第一書記」という存在を知ってから、「これは調べるしかない」と思った。</p>

<p>その第一書記の魅力を、橋本さんはこう語る。</p>

<p>「この人たち皆、貴族とかじゃないんですよ。フィレンツェの外にいた平民が自分で勉強して、知恵をつけてコジモのところに才能を売り込んできて、それをコジモが拾い上げいくんですね。自分の実力のみしか頼るものが無くて、自分の知恵で這い上がってくるというところにロマンを感じます。」</p>

<p>しかし先行研究はほとんどなく、イタリア語もわからない状態から手探りで研究を進めた。何日徹夜をしたかもわからない。ようやく翻訳した資料は本論と関係なく・・・ということもあった。</p>

<p>それでもイタリア語を読み進めていくうちに新しいことがわかると、「ドキドキしてもう夜眠れない」。論文を書くにあたってのアドバイスをたずねると、「恋したもの勝ち。情熱ですかね」と実に楽しそうだ。<br />
知識を求めて明治大学のゼミに２年間通い、勉強し続けた橋本さん。その集大成である卒論の結論は、橋本さんなりの第一書記の定義である。</p>

<p>「私が調べて思った第一書記というのは、君主コジモ一世が、自分の気に入った人材、この人有能だなって思った人材を、自分の政権の中で自由に活躍させるためのお墨付きみたいなものが第一書記だったのではないかと、そういう結論になりました。」</p>

<p>最後に、「勉強をする作戦」を教えてくれた。</p>

<p>「私メディチ家に興味を持って、早稲田大学の講義に潜り込んだんですね。それで実はコジモ一世について勉強したいんですよって言ったら、その早稲田大学の先生が明治大学の先生を紹介してくれて。強いて言うなら、他の大学にもぐってみる、それでそこから伝手を捕まえてみるっていうのも、何かを勉強する作戦なのかもしれないな、と。」<br />
</p>]]>

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<title>2007年度卒論・卒制紹介③「『毒のある助言』からみるロシアの現代社会」</title>
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<modified>2008-12-31T07:00:19Z</modified>
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2007年度の卒論・卒制紹介第３回は、酒井智子さん（坂井ゼミナール）の卒論「『毒のある助言』からみるロシアの現代社会」です。</summary>
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<dc:subject>学生論文・作品</dc:subject>
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<![CDATA[<p>酒井智子さんの卒論題目は、「『毒のある助言』からみるロシアの現代社会」。ロシアの児童文学作家グリゴーリィ・オスチョールの作品『ブレドリーニ・サヴィーティ』を題材に、ロシアの現代の生活や情勢を読み解いていこうという試みである。<a href="http://wako-image.net/img/sakai.jpg"><img alt="sakai.jpg" src="http://wako-image.net/img/sakai-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a></p>

<p>このテーマを選んだきっかけは、２００５年に国会図書館で行われた「ロシアの児童文学展」だった。古典とされる口承文芸やお伽噺、あるいは現代の道徳的な児童文学の中で、風刺色が強く反面教師的なジョークが多いこの作品に興味を引かれた。</p>

<p>その後、原書を手に入れることができた。邦訳は出版されていない。辞書を片手に、翻訳を始めた。<br />
ロシア語は１年のときに選択していたが、文学作品を翻訳には苦労が多かったという。</p>

<p>「詩ですから、韻を良くするために普通に書いたり話したりするのとは違う順番だったりというのがあるので、文法的な勉強だけでは訳すのが大変でした。」</p>

<p>さらに翻訳だけではなく、その物語が意味することを考察するためにはロシアの政治史の勉強がかかせない。そのために上智大学のソビエト政治史の授業に聴講生として参加し、専門知識を深めた。<br />
すると、翻訳だけでは読み取れなかった作品の真意が見えてくる。</p>

<p>「（作品を）読んでいく中で、政治史だとかを知らないと、「これは何を言っているのかな」とかがわからないんです。政治史だとかを踏まえての作品なので、それを読み解いていくのが一番楽しかったですね。」</p>

<p>原書『ブレドリーニ・サヴィーティ』は９５年から２年間、雑誌に掲載された作品である。本文に見られる「戦争」や「内戦」といった言葉からは、当時の社会情勢がうかがえる。<br />
酒井さんは、この本だからこそ、９５年ころの現代情勢が生活の様子が読み取れたという。</p>

<p>ソ連崩壊後のちょっとした混乱を描いているこの作品は、現在も本屋の店頭に多く並んでいるという。<br />
ロシアには「アクネドート」という風刺があり、それが児童文学作品にも入ってきたと感じる酒井さん。それが何を意味するか、聞いてみた。</p>

<p>「ソ連崩壊でずいぶんアイデンティティクライシスが起こったようなんです。ソビエトという大国の一員である、というのがガラガラと崩れていって。気持ち的な混乱がすごく大きかったと思うんですね。それで、きれいな道徳だけではまかなえなくなって来たんじゃないかな、と思います。」</p>

<p>現在のロシアを見つめ、今後もこの著者にならう若者が増えるのではないかと考えている。<br />
</p>]]>

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<title>2007年度卒論・卒制紹介②「定本 青猫」（後編）</title>
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<modified>2008-02-29T14:17:31Z</modified>
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<summary type="text/plain">2007年度の卒論・卒制紹介第２回は、檜山美穂さん（津野ゼミナール）の卒制「定本青猫」後編です。</summary>
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<dc:subject>学生論文・作品</dc:subject>
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<![CDATA[<p><strong>『青猫』詩の解釈より</strong><br />
 <br />
都会の夜空に眠る「青猫」の影。<br />
“都会への郷愁”を一つの美の形にした。<br />
夜空に「電線の青白いスパーク」の映る幻の都会。そこに近代の生活と情操と美が存在するところとして、田舎を異なる魅惑的なところとして青猫の影の映る都会を夢見たのである。<br />
 <br />
独りのさびしい男の影―――<br />
虚無の世界から都会を思う<br />
ホイッスラーの『青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ』のような孤独のイメージ</p>

<p></p>

<p><strong>『怠惰の暦』詩の解釈より</strong><br />
<a href="http://wako-image.net/images/080229_01.jpg"><img alt="080229_01.jpg" src="http://wako-image.net/images/080229_01-thumb.jpg" width="195" height="278" /></a><br />
季節は春だろうか？<br />
こんな憂鬱の中で彼はとてもつまらないとふくれている。<br />
「もう暦もない　記憶もない　私は燕のように巣立ちをし、そうしてふしぎな風景のはてを翔けてゆこう」とまた旅へ出掛ける。<br />
彼は愛する猫の思い出だけがいまは情熱的に心の中を燃やしている。<br />
その灯火を入れて彼はまた旅に出る。<br />
“道先案内人の猫”の図</p>

<p><br />
<strong>『定本青猫』作業工程表より</strong><br />
 <br />
〈用意するもの〉<br />
□『青猫』　萩原朔太郎・作<br />
□デジタル一眼レフカメラ</p>

<p>〈工程〉<br />
一、作者に近寄ってみる<br />
　・詩を読んでみる<br />
二、 音読してみる　　<br />
　・部屋で読んでみる<br />
　・現地で読んでみる<a href="http://wako-image.net/images/080229_02.jpg"><img alt="080229_02.jpg" src="http://wako-image.net/images/080229_02-thumb.jpg" width="287" height="186" /></a><br />
三、  詩作について他の文献に触れてみる<br />
　・『新潮文学アルバム』<br />
　・『伝記　萩原朔太郎』嶋岡晨<br />
　・『父・萩原朔太郎』萩原葉子<br />
　・『詩を読む人のために』三好達治<br />
　・海外の詩を読む　　　その他　　　　　　　<br />
四、  原稿用紙に書いてみる<br />
　・万年筆で書いてみる<br />
　・鉛筆で書いてみる<br />
　・紙にもペンにもこだわってみる<br />
五、  一篇ごとに詩の解釈を起こしてみる<br />
　・69枚の詩の題名が入ったカードを作る<br />
　・表に題名、裏に解釈を書く<br />
　・床に置いて眺める<br />
六、  萩原朔太郎の他の作品を読んでみる<br />
　・『月に吠える』<br />
　・『氷島』<br />
　・『猫町』　　　　　その他<br />
七、  沈殿するのを待つ<br />
　□待つ時間にすること<br />
　・動物園に行ってみる<br />
　・港に行ってみる<br />
　・マンドリンを聴く<br />
　・映画を観る<br />
　・とにかく散歩する<br />
<a href="http://wako-image.net/images/080229_03.jpg"><img alt="080229_03.jpg" src="http://wako-image.net/images/080229_03-thumb.jpg" width="181" height="236" /></a><br />
八、  描く<br />
　・前橋で描く<br />
　・都内で描く<br />
　・散歩先で書く<br />
九、 撮った写真を観照する<br />
　・取拾する<br />
　・再想起する<br />
十、詩集をつくる<br />
　イ、本のデザインを起こす<br />
　ロ、データをＰＣに打ち込む<br />
　ハ、編集<br />
　二、印刷用紙を選ぶ<br />
　ホ、印刷する<br />
　へ、紙を裁断<br />
　ト、製本 <br />
十一、提出する<br />
 <br />
補遺　CAFÉで追想する<a href="http://wako-image.net/images/080229_04.jpg"><img alt="080229_04.jpg" src="http://wako-image.net/images/080229_04-thumb.jpg" width="477" height="150" /></a></p>]]>

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<title>2007年度卒論・卒制紹介①「定本 青猫」（前編）</title>
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<modified>2008-02-24T16:13:10Z</modified>
<issued>2008-02-18T14:31:04Z</issued>
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<created>2008-02-18T14:31:04Z</created>
<summary type="text/plain">2007年度の卒論・卒制を紹介する本シリーズ第１回は、檜山美穂さん（津野ゼミナール）の卒制「定本青猫」。２回にわけておとどけします。</summary>
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<dc:subject>学生論文・作品</dc:subject>
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<![CDATA[<p><strong>『序』より</strong><br />
 <br />
それは衝撃だった。<br />
谷川俊太郎に倣えば、ある日突然「猫」ということばがわたしの中でつながった。<br />
 <br />
図書館の帰り道、私の前に一匹の猫が通り過ぎた。<a href="http://wako-image.net/images/080218_01.jpg"><img alt="080218_01.jpg" src="http://wako-image.net/images/080218_01-thumb.jpg" width="224" height="298" /></a><br />
そんなことは別に珍しいわけではないが、私の中で突然、『コカコーラ・レッスン』の主人公のように私の頭の中に「猫」ということばが一斉に広がった。<br />
　「猫」、「猫」、「猫」、「猫」、「猫」、「猫」！<br />
いつか図書館で読んだ『定本青猫』がぱっと脳裏に浮かんだ。<br />
そうだ、最近やっと文学が身近に感じられた私にとって、これでなにかやってみるべきだと閃いた。<br />
 <br />
 <br />
 <br />
朔太郎が鉛筆や万年筆で詩を書くように、私は『定本青猫』を写真で描く（書く）。<br />
何故写真かというと、私が写真を好きで撮っていることもあるが、</p>

<p>「～そしてすべての風景は、カメラの磨硝子に写った景色のやうに、時空の大四次元で幻燈しながら、自奏機の鳴らす侘しい歌を唄っている。その侘しい歌こそは、すべての風景が情操している一つの郷愁。即ちあの「都会の空に漂う郷愁」なのである。」</p>

<p>と朔太郎が言うように、彼は写真の中からもそれらの風景を見ていたのだ。（同じく朔太郎も写真をよく撮っていた）。そして彼の詩の悲しい憂鬱な、デカダンスなものがとても私に共鳴するものがあると感じたからである。</p>

<p> <br />
<a href="http://wako-image.net/images/080218_02.jpg"><img alt="080218_02.jpg" src="http://wako-image.net/images/080218_02-thumb.jpg" width="232" height="197" /></a>自序で朔太郎が「元来私の書物に於ては、挿繪が単なる装飾でなく、内容の一部となって居るのであるから～」<br />
といっているが、私はそれに倣って、詩の中に描かれていないことや、なにかヒントとなる言葉から、それらを考え朔太郎のやらんとしたことを感じたいと思った。</p>

<p><br />
それによってまた何か新しいものが見えてくるのではないか、少しでも朔太郎の頭の中を覗いてみたいと思った。その風景を見つけて写真におこしてみる。それが朔太郎特有の“遊び（エスプリ）”なのではないかと思う。今回私が突き詰めたかったのはその“遊び”である。<br />
 <br />
 <br />
 <br />
本の構成は、詩に対応した写真が69枚あり、そのうち掲載した写真のいくつかに朔太郎の詩と私の詩の解釈を載せた。中表紙の前に創作過程を、巻末に覚書のかわりに自分で書いた詩を載せた。<br />
『定本青猫』の挿絵を一つの旅行記として捉え、表現した。</p>]]>

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<title>2007年度卒論・卒制合評会を開催しました。</title>
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<modified>2008-02-29T13:24:36Z</modified>
<issued>2008-02-04T14:52:23Z</issued>
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<created>2008-02-04T14:52:23Z</created>
<summary type="text/plain">1月31日、2007年度の卒論・卒制合評会を開催しました。
</summary>
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</author>
<dc:subject>委員会学生日記</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://wako-image.net/">
<![CDATA[<p><a href="http://wako-image.net/images/sotsuron.jpg"><img alt="sotsuron.jpg" src="http://wako-image.net/images/sotsuron-thumb.jpg" width="360" height="270" /></a><br />
1月31日、2007年度の卒論・卒制合評会を開催しました。</p>

<p>今年度報告に参加したのは、坂井ゼミ・永澤ゼミ・松枝ゼミ・松村ゼミに所属している18名。作品・論文展示ありで、合評聴講者が30名という盛況ぶりでした。</p>

<p>古代の色をテーマにした染色（制作）や、ロシア児童文学を翻訳から挑戦し現代社会を読み解いた論文、身近な伝統「風呂敷」をテーマにした報告（論文）など、今年もさまざまな研究が報告されました。</p>

<p>当日は飛び入り参加の報告者も登場。今後の課題と研究の継続が希望されるテーマが続出しました。<br />
詳しい研究内容は引き続き本ホームページに連載してゆきます。どうぞお楽しみに！</p>

<p>＜発表者一覧＞<br />
●坂井ゼミ<br />
酒井智子 「『毒のある助言』からみるロシアの現代社会」（卒論）<br />
今村賢司 「モンゴル帝国における東西交流」（卒論）<br />
横張雅樹　「「ジプシー」のイメージの相違」（卒論）</p>

<p>●津野ゼミ<br />
櫻井なおみ 「足の博物誌」（卒制）<br />
檜山美穂 「定本 青猫」（卒論）　</p>

<p>●永澤ゼミ<br />
福川啓介 「昭和３０年代「古き良き日本」と現代社会の相違」（卒論）<br />
町田　祐 「浅草、オヤジの文化」（卒論）<br />
青木みぎわ 「ボス～キリスト受難と肖像～」（卒論）<br />
大野友香 「ジャパニーズ・アジア雑貨」(卒論）<br />
渋谷展子 「ゴッホの宗教画と模写」(卒論）<br />
臺 まり子 「共存ずる光と闇　ジェームズ・タレルを中心として」（卒論）<br />
馬場 希 「古典の紫」（卒制）<br />
前澤慶子 「『顔を見る』歴史　～人相学から人創学へ～」（卒論）<br />
岡澤有希 「美術館は楽しい　～鑑賞教育からみた人と美術館～」（卒論・展示のみ）<br />
野田祥子 「Ｓｍａｌｌ　Ａｎｉｍａｌｓ～絵画にみる動物観～」（卒制・展示のみ）</p>

<p>●松枝ゼミ<br />
根岸和恵 「風呂敷について」（卒論）</p>

<p>●松村ゼミ<br />
左貝梨紗 「罪」（卒論）<br />
高橋綾香 「ウインナー教」（卒論）<br />
橋本菜々 「コジモ一世時代の第一書記官について：絶対君主をめざしたコジモのブレイン的存在とは」（卒論）<br />
平林里葉子 「地理情報認知促進のための実践的モデル制作」（卒制・代読）<br />
宮本丈治 「『神話』と云う名の物語」(卒制）</p>]]>

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<title>バウルと和光の6時間～「アジアの芸能」特別講演・公演　&quot;バウル&quot;レポート</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://wako-image.net/2007/07/new6.html" />
<modified>2008-02-24T15:57:45Z</modified>
<issued>2007-07-13T12:53:42Z</issued>
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<created>2007-07-13T12:53:42Z</created>
<summary type="text/plain">6月29日に講義「アジアの芸能」で開催した、超カースト吟遊詩人「バウル Baul」をテーマとした特別講演と公演の様子をレポートします。 

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</author>
<dc:subject>イベントあれやこれや</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://wako-image.net/">
<![CDATA[<p><a href="http://wako-image.net/images/baul_02.jpg"><img alt="baul_02.jpg" src="http://wako-image.net/images/baul_02-thumb.jpg" width="320" height="240" /></a>さる6月29日、インドから来日中の超カースト吟遊詩人 「バウル」を迎えての総合文化学科主催のレクチャーコンサートは成功のうちに終了しました。</p>

<p>メンバーはインド人三人と日本人一人の計四人からなり、主催者の二人と併せて六人が来校されました。濃いオレンジ色のインド服を着た彼らが、Ａ棟前のバス乗り場に立っている姿は、インドの旅芸人が初めて和光大に第一歩を記した記念的瞬間だったのです。</p>

<p>宣伝期間が短かったこともあって、参会者は四十人前後で、Ｊホール会場ではちと寂しい趣きも感じられましたが、そこは海千山千の楽士軍団。マイクなど一切使わずに、生の楽器演奏と歌声だけで、集まった聴衆を虜にしてしまいました。</p>

<p>学外からの参加者も多く、南アジア関係者だけではなく、小さな子ども連れのお母様方の顔がたくさん見えました。親子そろって、この和光大でインドの芸能を身近に堪能できたことを感謝されました。</p>

<p><a href="http://wako-image.net/images/baul_01.jpg"><img alt="baul_01.jpg" src="http://wako-image.net/images/baul_01-thumb.jpg" width="320" height="240" /></a>短い時間の中で、楽士の皆さんは消化不良気味だったようで、場所を移しての懇親会では、楽器と踊りがとまりませんでした。<br />
本学生でフラメンコの達人が、恥ずかしげに手拍子に加わっていたと思ったら、次の瞬間には一緒に踊っていました。子どもたちは、楽士が身につけていた貴石の首飾りをさわらせてもらっていました。</p>

<p>大入り満員ではありませんでしたが、この催しを本当に必要としている人が必要なだけ集まって、非常に内容の濃い空間を作っていました。事務方のあたたかい協力があったからこそ実現したことはいうまでもありません。</p>

<p>バウルが来校して気がつくとあっという間に6時間がたっていました。旅芸人たちは次の国をめざして帰って行きました。</p>

<p>私たちに残された仕事は、フィールドワークの資料作り。映像や画像を編集してプレゼンや保存用の資料を作る作業 が終わって初めて、このフィールドワークに幕がひけることでしょう。</p>]]>

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