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山本ひろ子先生;最後のセンセイ日記 2冊の本から

March 30, 2007
センセイ日記第17回目は山本先生の「最後のセンセイ日記」。ある2冊の本にまつわる話から「これから」をまなざして。

月並みだが3月は、別れと出立のとき。この22日に届いた2冊の本にまつわる話でセンセイ日記を閉じることにしよう。

sensei_last02.jpg第一の本は、昨年3月に逝去された二宮宏之氏著『フランス アンシアン・レジーム論』(岩波書店)でご遺族から送られてきた。50年にわたる二宮さんの研究を通観できる論文集になっている。

二宮さんとは、『歴史を問う』(岩波書店)という全6巻のシリーズでご一緒に仕事をした。学知はもちろんだが、風貌、話し方、これほど素敵な方はそうはいまいと思える魅力的な人物だった。なお彼の研究がフランスの歴史学の領野に留まらなかったことは、5月の「お別れの会」で配られた『ル・モンド』の死亡記事が語る通りである。

「……彼はその認識学的省察と多くの著作を通して日本の歴史学が新たな領域を開拓し、他の分野にまして歴史を叙述する新たな方法を創りだすことに助力した。2003年に死去した偉大な日本中世史家の網野善彦は彼に多くを負っている……。」(「日本の偉大な歴史家 二宮宏之」2006年3月22日)。 

sensei_last01.jpg第二の本は、高知県香南市赤岡在住の野村土佐夫さんが編んだ短編小説集『あの道この道』。長く教育長をつとめた「とさをさん」(自称。私たちもそう呼んでいる)は、赤岡きっての郷土史家で詩人でもある。赤岡の調査で案内をお願いしたのが縁で、昨年の「絵金祭り見学フィールドワーク」では絵金のエロティックな「戯画」のスライドも見せていただいた。学生たちよりも同行の三橋修先生(人間関係学科、この3月に退官)、塩崎文雄先生(表現文化学科)が熱心に見入っていたのはいうまでもない。
 
そういえば『赤岡町史』(1980年刊)は、詩人にして郷土史家の近森敏夫さん(とさをさんの遠縁に当たる)が物語風に綴った本だった。こうした町史は珍しいが、そもそも幕末に活躍した異端の絵師=絵金といい、牧野富太郎といい、土佐人は畸人が多い。そして私は、「土佐的なるもの」を構想しながら、近年中に『新・土佐日記』といった本を書くつもりでいる。軸となるトポスこそ赤岡で、わずか1.7平方kmの小さな街が、私を刺戟し魅了してやまない。

私は歴史への眼差しを、土佐・赤岡に差し向けることで、二宮さんが志向した「歴史の作法(さくほう)」を自分なりに実践しようとしているのかもしれない。奇しくも同じ日に届いた2冊の書。本としてのすがたはまるで違うけれど、2007年3月という分岐点に立つ私への最高の贈り物となった。

表現学部は改組となり、イメージ文化学科は総合文化学科へとその身を変える。
精鋭メンバーの卒業と私の2007年度の休学(学外研究員)という事情も奇妙に符合して、山本ひろ子研究室はその活動の歴史を閉じることになった。しかし形成し、獲得してきた運動的な知を、すべて封印してしまうわけにはゆかない。それらはすでに外へとつがえられていると宣言して、センセイ日記の稿を終えることにしよう。

March 30, 2007 | コメント1

1.

投稿者 toshio oshiki|at June 15, 2007 11:22 PM

高校時代の日記が見たいのですが、無理ですか?

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