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永澤峻先生の研究ノート

May 20, 2006
sensei_13_sub01.jpg先生日記第13回目は永澤先生の研究ノート。絵に書き込まれた言葉への思索。

西欧の絵のなかに書き込まれた文字(言葉)について、少しずつ調べている。

mannga.jpgこの問題については、現代までの数多くの絵を対象としたフランスの小説家ミシェル・ビュトールの『絵画のなかの言葉』(清水 徹訳、叢書≪創造の小経≫、新潮社、1975年)という好著があり、見事な翻訳を通じて多面的な要点を知ることができる。また、四方田犬彦も、『漫画原論』(ちくま学芸文庫、1999年)では、ビュトールの分析を先達と仰ぎ、現代の漫画のコマの中の過激なまでの文字(言葉)の氾濫ぶり(現代の都会人が耳にするおびただしいノイズに対応)の諸相を明らかしている。

だが、こうしたアクチュアルな分析の先例を知りつつも、西欧の宗教画のなかに書き込まれた文字(言葉)という自分に関連の深い問題については、この領域では欧米に蓄積されてきた膨大な先行研究が存在することを知り、私が取るべき方法や具体的な切り口を見出せずに、これまでは具体的な検討をなおざりにしていた[ただし、次の基本的な著書の翻訳が季刊誌に掲載され、精読して得るところが多かった。メイヤー・シャピロ「絵のなかの文字:視覚言語の記号学」、木俣元一/翻訳・解題、『西洋美術研究』、三元社、2003年、no.9、特集 パレルゴン:美術における付随的なもの、22~46ページ所収]。

ところが、ようやく「細部に神は宿る」(イコノロジー的分析の先駆者アビ・ヴァールブルクの言葉。些細とみえる細部のなかに、事態の核心を解き明かす鍵が潜んでいることのたとえ)と言えるような手がかりが、いわゆる≪受胎告知≫を表すイコン(聖画像)に書き込まれた ho chairetismos(「挨拶」を意味するギリシア語)という一見素っ気ない銘記の検討から得られるのではないか、と思いついた。

以下では、このイコンと関連作例を図版で挙げながら、比較のための図像や文献資料を求めて、私があれやこれやと試行錯誤してきた経過を書きつづってゆきたい。

jutai.jpg
問題の≪受胎告知≫を表すイコンとは、名高いシナイ山の聖カテリナ修道院に所蔵され、中期ビザンティン(東方キリスト教)美術の代表的な作例(12世紀末、おそらくは1190年頃)とみなされる小型の作品(42×63.5cm)である。
このイコンには、

・表現様態の独自性[金地上にモノクロミー(単色の濃淡)描写とポリクロミー(多彩色)描写を併用]
・描かれた登場人物の身振り・動作の特異性[特に大天使ガブリエルの身振りが古代ギリシア・ローマ美術作品中の「パトス(情念)の定型方式」のポーズを意識的に借用]
・「木々の生い茂る閉じられた庭」、「水鳥や魚のいる水辺」など、『福音書』中の説話記述にはないモティーフが描き込まれていること[これらは、西ヨーロッパの中世後期からルネサンスの≪受胎告知≫の絵のなかに数多く現れる同種のモティーフの先駈をなすもので、聖母マリアの特性を讃える隠喩(メタファー)表現となっている]

などのさまざまな表現上の特徴がみいだされる。

shinnwa.jpgこれらの点については、すでに私自身の検討結果のあらましを「ビザンティン美術における異教古代モティーフの変容をめぐる試論―<踊る乙女>の図像モティーフを手がかりとして」と題する研究エセー(『神話・象徴・イメージ』蔵持不三也・永澤 峻・松枝 到編、2003年、原書房、91~128ページ)に発表していた。

そのエセーでは、独自なモティーフと図像の淵源やそれらの意味・内容に関しては、かなり納得のゆく推定を引き出せたと思うが、豊かな象徴性を含むこのイコンが、制作された時代の特定の社会的環境(コンテクスト)の中で、どのような機能を果たしていたのか、という問題が未解決のまま残ってしまっていた。

ところが、この問題へと広がってゆく手がかりが、イコンの中に書き込まれた「挨拶」を意味するギリシア語の銘記から得られる、と考えるに至ったのである。

というのは、
ho chairetismosという銘記は、『ルカ福音書』中の天使がマリアに語る良く知られた挨拶の言葉「おめでとう、恵まれた方」(ラテン語のアヴェ・マリアにあたる)(第1章、28節)に対応するギリシア語 Chaire,kechairitomene(長音記号は略)に由来するもので、いわゆる≪受胎告知≫を表すと考えられる東・西の西欧中世の絵全体のなかで、「挨拶」という「書かれた声」(written voices)をともなう絵画グループと関連していて、「お告げ」(ho euangelismos)という銘記をともなう絵画グループとは、やや異なる図像形成のバック・グラウンドをもつと推定できるからである(著名な東方キリスト教神学の研究者Jaroslav PelikanのImago Dei,The Byzatine Apologia for Ikons,Princeton,1990,p.158~159で示唆されているが、私の知る限り、この二つの図像系譜の歴史的展開を詳細に辿った総合的な研究はない)。

jutai_maria.jpg jutai_tenshi.jpg
問題のシナイ山イコンには、身振り動作や感情表現が乏しいと言われていたビザンティン美術において、初めて激しい身振り動作と強い感情表現が表れてきており、いわばパントマイムを演じているようなこの場面に、さまざまなテキストの探索を通じて、天使の独白と挨拶からマリアの独白と返答にいたるまでのセリフを推定できるのである。

そして、これらのセリフの言葉(文字)の中には、聖堂内での司式者と信者たちの間で交わされる交唱句も見出され、このイコンを前にした当時の生き生きとした儀礼の様子の一端が浮かび上がってくると思われる。

hukidashi.jpgこれと同じように、イタリア美術史上でも名高い、金地の上にAve gratia plena Dominus tecum(おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる)というセリフが天使の口元から玉座に座すマリアの耳にまで届くように書き込まれた、シモーネ・マルティーニ作のいわゆる≪受胎告知≫の祭壇画(1333年、フィレンツェ、ウフィツィ美術館)も、ここで問題するイコンとともに、画中の言葉(文字)を、その前で執り行われた荘厳な宗教的パフォーマンスを知る手がかりとして調べてゆく必要があると考えられるのである。

それゆえ次回は、これらの問題の具体的な推定へと歩を進めてゆくことにしたい。(永澤)


sensei_13_sub02.jpg冒頭で触れた種類の問題については、すでにわが国でも良く知られているウォルター・オング著 桜井他訳『声の文化と文字の文化』(藤原書店、1991年)は別として、私に興味深かった幾冊かの本を補足しておく。(永澤)
・川田順造『聲』ちくま学術文庫 1998年 
・工藤進『声 記号にとり残されたもの』白水社 1998年
・池田紘一・今西祐一編『文字を読む』九州大学出版会 2002年

May 20, 2006 | コメント2

1.

投稿者 こみこみ|at July 7, 2006 07:04 PM

こんにちは。

覚えていらっしゃいますでしょうか。
車椅子使用をしている、ダメダメだった元学生です。
あの時はわたしの精神状態も芳しくなく、卒論も大失敗で、書き直しをしたいくらいです。
お恥ずかしい・・・。

最近また体調が優れないとのことですが、大丈夫でしょうか?
ビザンチンとはあまり関係がないのですが、都美のプラド美術館展に行き損ねてしまいました。

ビザンチン美術がパントマイムのように「物語の一部」を表している、とは先生に教わりましたが、その時代以降のキリスト教美術全般にその傾向が見られると思いました。(ダヴィンチの「最後の晩餐」や「東方三博士の礼拝」「受胎告知」 等)
むしろ過去にさかのぼると、物語性というよりは静止画のようなものが多いですね。

これはキリスト教崇拝の時代背景と関連があるのでしょうか?
そしてイコノクラスムによってこの「パントマイムな物語性」はどう変わったか。
わたしの近辺状況がかわって、先生がお元気になられたら、またお話聞きたいです。

研究、授業、体調に無理をなさらない程度にがんばってください!

2.

投稿者 アクア|at July 24, 2006 12:10 AM

はじめまして、西洋美術史愛好者です。投稿するのも勇気がいりますので匿名をお許しください。先日はシナイ山イコン『お告げ』のお話を大変興味深く拝聴いたしました。受胎告知の図像で、古代ローマ石棺「別れを告げるアキレス」とノリメタンゲレとの関連、天使ガブリエルとマイナデスの身振りとの関連は、初耳であり驚きでした。妄言をお許しいただくなら、わたしは「バッカスとアリアドネ」を連想いたしました。また天使ガブリエルの衣の翻る表現から、ニケのようだとも思いました。天使は左手に杖のようなものを持っていますね。聖母マリアは右手に糸紡ぎをもっていますが、これはどのように紡ぐのでしょうか。驚いて思わず落としそうになったというわけではないのですね。精霊の鳩はまるで屋根の上にいる二羽の親鳥の巣に向かうように羽ばたき、天の「神の手」は描かれていません。先生のお話で改めてこのイコンの大らかで繊細な表現に魅了されました。有り難うございました。

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