
日本独自の製鉄法・たたら製鉄における、わざ(技術/呪術)と信仰を探るべく、訪ねたのは奥出雲。鉄の歴史村・吉田町(旧・吉田村)に残る菅谷高殿と山内の見学を中心に、広瀬町・西比田の金屋子神社と神話資料館、鉄山師・絲原氏の記念館、横田町の鉋流し跡など、奥出雲を広域にめぐり、そこかしこにある鉄の風土としての歴史を呼吸しました。
ことに菅谷高殿は、たたら製鉄の持つ呪術的側面、――『鉄山必要記事』(下原重仲著・天明4年)に覗く異様な言説群の存在をひと口に了解させる雰囲気に満ち満ちており、少なからぬ衝撃を与えました。

そして吉田町は菅谷山内に加えて、木ノ下神楽を持ち伝えています。11日の夜には神楽保存会の皆さんに上演をいただき、その洗練された芸の素晴らしさと迫力に思わず息をのみました。上演終了後は交流会を開き、芸について、伝承について、さまざまのお話を伺うことができました。
さらに今回は、近代たたら操業の実習生に受講生4名が応募しました。わたしたちは12日の朝に、徹夜の操業の末のケラ産出を見学。ススに顔を黒くし、たくましく(?)なった4人の姿を認めることができました。実際の操業に触れることで、たたら製鉄の持つ驚くべき技術の一端を垣間見たように思います。

たたら製鉄とその歴史がみせるいくつもの側面に実際にふれることで、決して単一の言説に括ることのできない文化のありようを知ったように思います。(受講生・萩野)
COMMENTS
旧吉田村は山陰の鉄の文化を牽引してて魅力的だったけど、最近存在感が少し薄れましたね。個人的には「雲南」市の名前がよくないのではと思ったりもします。雲南というと中国の雲南省で、鉄といえば鉄観音(プーアル茶)のイメージが強すぎてとても日本古来のたたら製鉄の文化と一致しないと思うからです。
そんなこと無いでしょう。安来の足立美術館からも雲南市・奥出雲町向けの観光バスが何台も止まっていますよ。
立派ですね。顔を突き合せないweb上はいろんな言説飛び交い、ガセネタが多くなってきました。
やはり、研究は現場・現物・現実という三原則からもしかしていい思いつきがでるのかもしれませんね。
「特殊鋼の最古の記憶」
天の叢雲の剣は別名を草薙の剣といって、天皇の位を示す「三種神器」の1つです。始めは草薙の剣と言いました。スサノオがヤマタノオロチを退治した時に、オロチの腹から出てきたものです。ヤマタノオロチですから当然、場所は出雲となります。つまり安来のハガネ、といえます。一番あっけなかったのは、木原村下が「これが草薙の剣の砂鉄です」と言われたことでした。日刀保たたらの近辺は、出雲の中でも一番優秀な砂鉄を産する場所なのでした。「良い砂鉄は手のひらで揉むとすぐに赤く変色します」木原村下の言葉でした。その通りですぐに手のひらで赤くなりました。天叢雲剣イコール草薙の剣はこの一振りの剣の優秀性を訴えるのではなく、出雲の製鉄部族を支配下にしたこと、あるいは出雲の砂鉄を占有したことの暗示なのでしょう。草薙の剣については、大化の改新の60年後に編纂された古事記に掲載されます。スサノオは蘇我氏を暗示していますので、蘇我氏の占有していた出雲の鉄の利権を天皇が引き継いだ理由を正当化するために暗示している話なのです。
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