■入門授業"G"=GATEとは・・・
新1年生のために特別に用意された、イメージ文化ならではのユニークな入門授業です。基本的な知識を先生が教えてくれると思ったら、大間違い。1年生が一緒になって考え、コミットしながらつくる行動型? の授業。残念なのは前期だけの授業で、一つしか受講できないこと。ではA、B、Cそれぞれの授業風景を一挙公開!
(*関連ページ 「GATE-A」「GATE-B」)
■GATE-C 映画を見ながら(山本先生)
一本の映画には、つくられた時代や場所、そして作り手の表現法によって、私たちの思考を刺激するさまざまな問題が含まれています。そうした問題を、それぞれが自分なりに取り出して、思考し、言葉として表現することが「GATE-C」の課題です。
ただ映画を眺めるだけでは面白くありませんし、また映画史や映画技法を学ぶことは意図するところではありません。入門授業として新一年生に期待するのは、映像を通じて批評的な言葉を得ることです。
■授業の進め方
①担当教員が映画を選び、②それを全員で鑑賞。③自分の考えを文章にし、④合評しながらさらに深く考えていきます。
これを繰り返すことで、すこしずつ自分なりの視点と言葉を磨いていきます。また、三年生のひとり(映画通)が案内役として、自分の意見と受講生の意見をぶつけながら、授業を組み立てています。
■総決算「GATE-C映画祭」
7月12日の最後の授業では、総決算として映画祭を開催します。上映作品は『家出キャット』(自主制作・04年)ほか一本。これまでの成果が試されます!
※「GATE−C」映画祭についてはこちらをご覧ください。
■学生による映画批評
『秋津温泉』評(抜粋)
では、「秋津温泉」とはどのような存在だったのだろうか。二人の人物を交えて考えていきたいと思う。
まず、男から見た秋津温泉、一度は難病で死を実感してしまうが生きることをこの土地で出会った女から教えられ、死を乗り越えることができた。いわば、この男にとってこの土地は生命を救われた思い出の土地であると考えているのではないだろうか。しかし、本当に女を愛したのかは結局最後まで理解することはできなかった。
次に女から見た秋津温泉とは、人柄的に、男とは反対に一人の人を愛する一途な女性であった。だから、この土地さえ残っていれば、また会えると確信し土地を売らずにひたすら持ち続けていたのではないのだろうか。しかし、この土地で教わったことは貪欲な愛と、男とは反対の死を教わってしまったのではないかと考えた。 (S.M/1年)
『風の丘を越えて』評(抜粋)
父が娘から光を奪ったということ。だからそれは必然だっただろう。弟の行動に心が揺れてしまった娘に、自分たちには唄しかないのだということを父は確認させた。そして娘自身もそれをよく知っていたのだ。
彼女は眼に映じることのない落日を見、困惑するが、その内に怒りや悲しみを湛えるわけではない。彼女はその<事実>をあまりにもしなやかに受け入れた。父と娘、そして彼らの生。それはもはや、あらゆる価値を超えている。彼らは、唄とともに、いくつの季節をめぐったのだろうか?
「人の<ハン恨>とは、生涯に渡って心に鬱積する感情の“しこり”だ」
ソンファは父親の凄絶な晩年、いや生涯を通して、唄に<ハン恨>をこめてゆく。それは自ら唄に生きることを真に選ぶ契機とともにあった。やがて独りになった彼女は、その<ハン情念>を越える「唄の境地」を希求してゆく。かりそめの宿りの先々で、弟を待ちながら。 (案内役学生・ハギノ/3年)
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